「健康ランド」ハシゴの旅 (2014.7.27.〜29.)

I

 2泊ほど出かけてリフレッシュして参りました。
 作曲仕事が重なって忙しい忙しいと言っていたのに何をしているんだとツッコまれそうですが、8月中がどうにも精神的に大変そうなので、思いきって7月中にリラックスしてくることにした次第です。またマダムと私の夏休みのあいだのスケジュールも案外と合わせづらく、2泊もするとなるとここしかとれなかったという点もあります。
 それで、わずか1週間前になって宿を手配しました。
 半年前の2014年1月に、近畿大学のグリークラブが私の男声合唱組曲『きょう、いきる ちから。』を初演してくれたので、大阪まで聴きに出かけました。その帰り、駿河健康ランドというところに一泊しました。主体は一種のスーパー銭湯で、宿泊設備が附属しているというていの施設です。そこがなかなか気に入ったので、もういちど行きたいと思いました。
 また、この施設を経営している会社は、他にもふたつ、山梨県石和長野県松本に同様の「健康ランド」を持っており、なんとこの3箇所のあいだを相互に往来する無料連絡バスを運行しています。つまり、静岡から松本までただで移動できるというわけです。それならば、いっそ駿河健康ランドに続けて、松本にある信州健康ランドに連泊してしまおうというプランを立てました。

 直前の手配でしたが、幸い部屋が予約できました。実は直前でむしろ良かったようで、お盆の頃も旅行へ行く候補日として考えていたのですが、そのあたりは駿河も信州も満室になっていたのでした。しかも、お盆や年末年始は無料連絡バスを運行していないということも判明し、いささか急な予定が決まったわけです。
 さて、駿河健康ランドのある興津まで行き、信州健康ランドのある村井から帰ってくる必要があります。こんな離れたところを行き来するためには、青春18きっぷを使うにしくはありません。そして18きっぷを使うなら、ただ最短距離で行って帰ってくるのは惜しくなります。往路の興津までは、そんなに回り道をする余地もなさそうですが、復路の村井からは、いろんな経路が考えられます。他にすることがあるのに、私は少なからぬ時間を、そのプランニングに費やしてしまいました。
 仕事のことも少々心配です。いちおう五線紙を携えてゆくことにしました。

 ともあれ7月27日(日)の朝、8時過ぎに家を出ました。青春18きっぷはすでに入手してありますが、川口駅でマダムと私のSUICAに千円ずつチャージしました。東京から熱海までの東海道線の電車で、少し旅行らしく、グリーン席に乗ろうと思ったのです。首都圏の普通電車のグリーン席は、料金をSUICAで乗車前に払うと少し安くなるのですが、東京駅でチャージとグリーン料金支払いを一緒にやっていると少々あわただしいと思われました。
 東京からは9時15分発の快速「アクティー」に乗車します。普通の東海道線電車に較べて4駅しか余計に通過しないという、さほど快速らしくない快速電車ですが、グリーン席とあいまって少しは旅行に出ている気分になります。
 幹線中の幹線と言って良い東海道線ですが、根府川から真鶴にかけての海岸風景は絶品と呼んで差し支えないと思います。風光明媚な車窓というものが、必ずしもローカル線の専売特許ではないことを思い知らされます。私はこの区間でいつも眼福を覚えているのですが、今回はじめて2階席からそれを見ると、わずかな角度の差なのに、海がさらに広々と見えることに気がつきました。かつて「アクティー」には2階建て車輌(215系)が使われていましたが、現在はそれが無くなり、いまや2階からこの景色を見られるのはグリーン席だけになりました。グリーン料金分くらいの価値はあると私は思ったのですが、どんなものでしょうか。
 熱海で乗り換えます。JR東日本JR東海の境界駅なのでやむを得ないとはいえ、以前はもっと先まで行く電車が何本もあったはずです。現在では、朝晩に沼津まで乗り入れる便がわずかにあるくらいで、日中の電車はすべて熱海乗り換えになってしまいました。東日本同士であるはずの伊東線に乗り入れる便すら、特急以外にはほとんど見られなくなりました。合理化ということなのでしょうが、融通が利かなさすぎという気もします。
 熱海発11時16分の普通電車は、例によってロングシートです。静岡県内の普通電車は、一時期クロスシート車輌が少し復活していたような記憶があるのですが、最近またロングシートばかりになっています。

 幸い、今回はそれほど長時間乗るわけではなく、吉原で下車します。上記の1月の駿河健康ランドからの帰途、「吉原中央駅」までの送迎バスを使ってみたところ、岳南電車吉原本町駅までわりと近く、思いがけずこのローカル私鉄に乗ることができました。ちなみに吉原中央駅というのはかつての富士馬車鉄道のターミナルで、現在は鉄道の駅ではなく、バスターミナルになっています。そうなっても「吉原中央」とせず、いまだに「駅」をつけて呼んでいるのでした。
 マダムがローカル私鉄好きであることは何度も書きましたが、岳南電車のことも気に入ったようで、全線乗れなかったのを残念そうにしていました。また、吉原本町駅のプラットフォームに掲示されていた「つけナポリタン」の案内にいたく心惹かれていたようです。近年、あちこちの市町村で、その土地の伝統とはあまり関係のない「ご当地グルメ」なるものが流行していますが、吉原ではそれが「つけナポリタン」なのでした。パスタを、別盛りにしたトマトベースのつけ汁にひたして食べるというもので、ラーメン界におけるつけ麺をパスタに応用したのでしょう。
 私は、何度か書いていますけれども、こういう風潮に反対ではありません。その土地の風土や伝統になんら根ざしていない、思いつきのような「ご当地グルメ」などなんの意味もない、と切って捨てる向きも多いとは思いますが、昼間からシャッターを下ろした店が並ぶ活気のない街並みを旅先で見せつけられることの多い身としては、たとえ単なる思いつきであっても、街がそれで盛り上がって、少しでも活性化するのならば、試してみる価値はあると考えざるを得ないのです。すぐに風土とか伝統とか言いたがる人は、まずご当地グルメに代わる街の活性化プランを提示すべきではないかと私は思います。
 ともあれマダムが「つけナポリタン」に大いに興味を持っていたので、今回吉原で昼食をとるように計画を立ててみたのでした。岳南電車は全線乗っても20分程度とごく短いので、まずは終点の岳南江尾(がくなんえのお)まで行って、その帰りに吉原本町で下車して「つけナポリタン」を食べる、ということにしていました。
 熱海からの電車が、沼津の手前でしばらく非常停止したので、吉原での乗り継ぎを少し心配しましたが、連絡通路はごくシンプルだったため、充分岳南電車に間に合いました。岳南電車はだいたい1時間に2往復程度しか走っていないので、1本逃すとかなり待たされます。

 1月に、岳南電車からJRに乗り継ごうとして、駅の外をだいぶ歩きましたが、乗り換え口でJRの切符を売っていなかったためで、逆にJRから岳南への乗り継ぎの場合は、岳南の出札口があるので構内通路を使うことができます。そちらを通れば乗り換えは非常に楽なのでした。
 出札口で、一日フリー乗車券を購入しました。これは年間を通して販売されていますが、平日と土休日とでは値段が違い、土休日用のは驚くほど安いのです。なんと、全線に片道乗って、あと1駅でも乗ればもう元が取れてしまうというスグレモノでした。
 井の頭線のお下がりを塗り替えて走らせている岳南電車に乗り込みます。沿線はほぼ全部工業地帯で、ちょっとJR鶴見線に通じるような雰囲気のある路線です。貨物用の側線が何本も用意されている駅も多く、本来は貨物主体の私鉄でした。ところが、貨物の扱いが年々減ってきて、最近ついに扱いをやめてしまいました。旅客だけではとても経営が成り立たないので、路線の廃止も考えたらしいのですが、地元が協力すること、利息金払いなどを切り離して身軽になることを条件に存続が決まりました。それまで岳南鉄道と言っていたのを岳南電車という社名にしたのはその時です。
 吉原を出た時にはそこそこお客が居たのですが、2つめの吉原本町、3つめの本吉原あたりで大半は下りてしまい、真ん中あたりにある比奈を過ぎると、乗っているのは私たちを含めて4人だけになりました。そして、他のふたりも明らかに「鉄」です。同類の嗅覚で、そうであることはすぐにわかるのでした。案の定、終点の岳南江尾に着くと、全員がそのまま折り返したのです。だいたい岳南江尾という終着駅は、工業地帯からも外れ、新幹線の高架が近くを通っているくらいが取り柄で、なんにもないところです。最近になってマックスバリュが近くにでき、ようやく人を呼べる要素が生まれましたが、それによって利用客が劇的に増えたわけではなさそうです。空気を運んでいる時も多いのではないでしょうか。

 戻りの便に乗り、吉原本町で下車します。つい半年前に来たばかりですから記憶も鮮明です。
 「つけナポリタン」を供する店は、かなり広域に点在しているようですが、吉原本町駅から吉原中央駅までが吉原の街の中心部と言って良く、そこそこの商店街のようになっています。つけナポリタンの店も少なくありません。
 1月にプラットフォームの掲示で見た案内と同じものが、ネットでダウンロードできたので、プリントアウトしてマダムに預けてあります。マダムは熟読玩味の上、いくつかの店を候補としてリストアップしていました。
 マダムの二押し三押しくらいの店はすぐ見つかりました。案内に載っているより値段が高いようだ、とマダムが言いました。何かのテレビ番組で紹介されたらしく、それ以来値上げしたのかもしれません。もちろん消費増税もありましたが、増税分以上の値上げ幅であるようです。
 ところが一押しの店が見つかりません。「吉原中央駅からすぐ」ということで、住所も出ているのに、その住所がどこにあたるのかがよくわからないのでした。しばらく歩き回ったのち、中央駅に掲げられていた附近の案内図を見て番地を確認し、その番地のあたりを丹念に歩いたのですが、やっぱり見当たらないのでした。
 と、一箇所、改装工事中らしい建物が見つかりました。
 「実はここなんじゃないか?」
 と私は冗談で言いましたが、その隣の建物の地番を見ると、どうやらその冗談が正鵠を射ていたようでした。つまり、マダムが調べたその店の住所と、その隣の建物の地番が、ひとつ違いだったのです。
 残念ながらあてがはずれてしまい、すぐ近くにあった「二押し」の店に入りました。構えは昔ながらの喫茶店といった趣きです。
 つけナポリタンは時間がかかる場合がある、などと警告してありましたが、さほどのこともなくテーブルに運ばれてきました。つけ汁の具材は店によってさまざまであるそうですが、その店のは鶏の胸肉とチンゲンサイが主でした。
 マダムはトマト料理に関しては一家言あり、自分で作る料理もトマトベースのものが多いのですが、このつけナポリタンには大いに満足していたようです。添えられていたレモンをパスタの上に搾ると、また違った風味が加わりました。
 その店にはillyのエスプレッソなどもあって、エスプレッソ好きのマダムはその点でも喜んでいました。

 吉原本町駅からまた岳南電車に乗り、吉原に戻りました。特に狙ったわけでもないのですが、昼食時間として吉原本町でとっておいた余裕時分がぴたりで、予想したとおりの電車に乗ることができました。
 このまま興津の駿河健康ランドに直行しても良かったのですが、まだ少し早いように思えたので、静岡まで行ってしまい、駅から近い観光地として登呂遺跡を訪ねてみました。頻発するバスに乗って10分ほどです。最近は吉野ヶ里三内丸山の大規模遺跡が話題に上ることが多いようですが、私の子供の頃などは歴史の教科書で必ず登呂遺跡について触れられていました。しかし、私が実際に訪ねたのは30歳をとうに過ぎてからのことでした。マダムもはじめてだったようです。
 復元された竪穴住居や水田、それに博物館なども面白そうだったのですが、16時半閉館とかでほとんど時間がありませんでした。ざっと眺めただけで帰りのバスに乗って静岡駅に戻り、17時00分の電車に乗って興津まで戻ります。興津では駿河健康ランドへの送迎バスが毎時20分に運行しており、この電車はちょうどそのバスに接続するタイミングです。歩いて行っても大したことはないという印象を持っていたのですけれども、さすがに歩くには少々難儀な距離であったようです。

 半年ぶりですが、施設には特に変化はありません。前回経験しなかったことをやろうと思い、ドクターフィッシュガラルファ)を申し込んでみました。人間の皮膚の角質を好んで食べる魚で、乾癬などの皮膚病にも効能があるそうです。水槽に足をつっこむと、ものすごい勢いで小魚が寄ってきて吸いつきました。ピリピリと微弱電流でも通しているような感触です。私の足は彼らにとってよほど美味だったようで、他の人が同じように足をつっこんできても、あんまりそちらにはゆこうとせず、私のところばかり群がっていました。マメができていたところもだいぶ削りとってくれたようです。10分間で540円という利用料金だったので、なんだか他の人に悪いような気がしてしまいました。
 20種類と豪語する風呂は今回も堪能しました。私はこういう大きな風呂に入る時にはコンタクトレンズをつけます。以前はもっと頻繁につけていたのですが、最近老眼が進んで、コンタクトレンズをつけると本などを読むのがつらくなりました。新しい度に作り直せば良いようなものですけれども、使い捨てのものを使っているので、まだ残っている分を使いきるまではそれももったいない気がします。それで、普通の外出や演奏の本番などの時に使うのはやめ、もっぱら温泉とかプールなどで用いることにしています。
 今回もコンタクトレンズをはめて入浴したのですが、上がってしばらくすると左眼に違和感を覚え、コンタクトを外そうとしたらどこかへ行ってしまいました。落としたのかずれたのかはっきりしません。ただ左眼がゴロゴロとするばかりです。持っていた目薬を大量に差したり、まぶたを指で押さえてマッサージしたり、いろいろやってみたのですが、一向に出てこないのでした。そのうち、眼の違和感が、ずれたコンタクトレンズのせいなのか、何度も眼球を指で触れたせいなのかわからないような状態になってしまいました。こうなっては、そのうち出てくるだろうと諦めるほかありません。何日も同じような状態であれば眼科のお医者にかからなければならないかもしれませんが、旅はまだ1日めです。やや先行きが不安になりました。

(2014.7.29.)

II

 「駿河健康ランド」はJR東海道線興津駅の近くにありますが、附近には飲食店などもあまり見当たらず、いちど入館したらほとんど外出の用は無くなります。施設内にはいくつもの飲食店が軒を並べていますし、売店もわりと充実しています。自己完結型のレジャー施設であると言えるでしょう。外出するとしたら、せいぜい海辺を散歩する程度ではないかと思います。
 宿泊した場合、夕食も朝食も施設内で済ませることになります。そう高額にはならないにせよさほど安いというほどでもなく、何かとお金を使わせるようになっているのは事実です。
 1月に泊まった際、最上階の食堂で朝食をとっていたら、ちょうど日の出の時刻になって、一望する駿河湾に紅い光の満ちるような幻想的な光景を見ることができました。マダムはモネの絵のようだと大いに感動していました。今回もそれを期待していたようですが、あいにくと7月の現在では、日の出の時刻が2時間くらい早く、まだ食堂が開いていません。
 それなら部屋で日の出を観ようと、マダムはわざわざ日の出時刻の4時半頃にアラームをセットして起き出していましたが、雲が多くてよく見えなかったようです。旅先の感動というのは、なかなか再現が難しいものです。

 朝にもひと風呂浴びて、この前とは違う1階大広間で朝食をとりました。最上階の食堂と同じくビュッフェでしたが、こちらのほうが料理の種類が多かったようです。
 マダムはビュッフェとなると見境の無くなるひとで、例によって私の倍くらいとってきていました。並べられている全種類を食べたいという気持ちはわからないでもありませんが、それなら1種類ごとの分量をできる限り減らせば良さそうなものを、なんとなく「見ばえの良い分量」みたいな感覚があるようで、ついつい大量になってしまうのでした。年がら年中ダイエットダイエットと騒いでいるひととはとても信じられないほどです。
 7月28日(月)は、駿河健康ランドから信州健康ランドまで、無料連絡バスで移動するだけですので、そんなに食べると後悔するのではないかと思いました。

 バスは9時40分に玄関前を発車します。少し大型のバスなのかと思ったら、興津駅から乗ってきたのと同じ型の中型車でした。乗客は10人でしたので、まあそれで充分です。乗客のほか、石和や信州の施設に運ぶ荷物なども搭載されていました。
 バスには「駿河健康ランド〜石和健康ランド」と表示されています。信州健康ランドへ行く場合には石和で乗り換えになるようです。発車直前に、フロントの係の人が私の名前を呼んでバスに乗ってきました。なんでも、石和健康ランドでの昼食を予約できるということでした。様子がわからないので、とりあえず仰せに従い、ほうとうをふたつ頼んでおきました。私の名前しか呼ばなかったところを見ると、信州まで長途移動するのは私たちだけだったようです。
 駿河健康ランドを出てすぐ、国道52号に入ります。静岡甲府を結ぶ国道ですが、静岡側の起点はちょうど興津にあったのでした。山越えの道で、かなりアップダウンが激しいルートでした。
 途中、「ゆばの里」でトイレ休憩がありました。身延に近い道の駅みたいな施設です。4年ほど前にここを訪れたことがあります。山梨クレストホテルにはじめて泊まった時の帰りに立ち寄ったので、ここで昼食をとった記憶があります。今回はまだ10時半くらいで、食事どきには早く、バスも10分ほどで立ち去ります。
 夜中に眼が痛くてしばらく起きていたり、朝風呂に入るために早起きしたりしたせいか、睡眠時間が足りていない感じで、少しうとうとしたようです。気がつくと石和健康ランドに到着するところでした。
 駿河と同じく──というか多くのスーパー銭湯と同じく──まず履き物をロッカーに入れ、そのロッカーの鍵を持ってフロントに行きます。食事の予約券を見せると、食堂用のキーというのを渡されました。この種の施設では、ロッカーや部屋などのキーにバーコードがついていて、食事やエステなどを中でするとそのバーコードに登録されて、退館時に一括でお金を払うというシステムになっていることが多いのですが、食堂用のキーというのはサックにバーコードだけついていて、鍵が無いというものでした。
 大広間に行って、予約したほうとうを食べましたが、別に予約しなくても良かった様子でした。特に混んでいるような時でない限り必要はなさそうです。それどころか、館内で食事をすることが義務づけられているわけでもありません。石和は興津と違って周囲も都市型温泉郷ですから、飲食店のたぐいもいくらでもあったことでしょう。まあ、炎天下外をうろつく気にもなれませんでしたが。

 信州健康ランドへの連絡バスは、さらにひとまわり小さい小型バスでした。乗客は私たちを含め6人だけです。しかし運ぶ荷物は駿河〜石和便より増えていたようです。
 こちらは高速道路を走ります。入ったところで少し渋滞していたので、勘弁してくれよと思いましたが、ほど近いところで事故があったせいらしく、現場を過ぎるとスムーズに動き始めました。塩尻北インターを出るとほどなく信州健康ランドで、クルマで来やすい場所だと言えましょう。鉄道でも、JR篠ノ井線村井駅から徒歩7分で、駿河に較べると交通の便が良くなっています。篠ノ井線と言っても塩尻松本のあいだですので、事実上は中央本線の一部みたいなもので、運転頻度もかなり高い区間です。
 部屋は駿河のようなオーシャンビューではないものの、北アルプスの山並みがよく見えて、気分の良い景色でした。
 到着は15時15分頃で、だいぶ早い時間です。早速風呂に出かけようと思いましたが、マダムが食堂の研究に没頭していて、夕食に何を食べるか迷い続けていたため、かなり時間をロスしました。
 1時間半ほど入浴して戻ってくると、マダムが難しい顔をしていました。朝食ビュッフェを食べ過ぎ、ほとんど動きもせずにバスに揺られただけなのに昼食のほうとうもまともに食べたせいで、風呂場で測ってみると予想外の体重になっていたらしいのです。どうも夕食まで施設内の食堂で済ませてしまうと、ヤバい状況になりかねないようでした。
 まだ外は明るいし、近くに駅もあるということで、とりあえず散歩に出かけることにしました。風呂で汗は搾り出せますが、それはそれとして少し運動もしたほうが良さそうです。
 長野県も日中の気温は高かったようですが、夕方の空気はさわやかで、さすがに高原だと思いました。健康ランドの敷地を出て線路沿いに歩くと、ほどなく村井駅があります。松本近辺の駅はだいぶ改装が進んで近代化されているそうですが、村井駅は昔ながらの田舎駅の風情を残していました。こんな旅でもしなければ通過するだけの駅だったと思われ、実際「村井」と聞いても、私としたことが最初はどのあたりなのかよくわからなかったほどです。
 駅前にちょっとした医療ビルがあり、眼科も入っていたので、前夜にコンタクトレンズでトラブって不調な左眼を診て貰おうかとも思ったのですが、残念ながらわずかに診療時間を外れてしまっていました。あいかわらずゴロゴロした感じがあり、時折ちくちくと痛みも覚えるのですが、まだレンズがどこかにひっついているせいなのか、それともこすったり圧したりしたために眼が充血してしまったせいなのか、素人では判断できません。
 駅前の道をしばらく行くと、広い道路に出ました。国道19号です。左側のほうを見るとショッピングセンターのようなものがあるらしく、そのあたりにまとまって飲食店もあるようでした。
 マダムは体重計を見て、健康センター内の食堂で食事することに怖じ気をふるったようです。入浴前は、翌朝も朝食ビュッフェで食べるようなことを言っていたのに、そのショッピングセンターで食べ物を買って帰ることに意見を改めました。本当は健康ランド内には飲食物の持ち込みが禁止となっており、内緒にしなければなりませんが。
 夕食も、その近くの回転寿司屋で済ませました。東京では見ないチェーンで、富山あたりが本拠であるようです。ネタがたいへん良いので驚きました。寿司なら食べる量を調節できるので好都合かと思ったのですけれども、おいしくてついつい「普通に」食べてしまいました。
 陽の暮れた道をぶらぶらと歩いて宿に帰りました。少ないながらも運動したせいか、次に測った時にはマダムの体重も許容範囲に戻っていたようです。
 この日は40分のボディケアを予約してありました。私はタイ古式マッサージというのがわりと好きなのですが、ここでは若干料金が違ったので、普通のマッサージにしておきました。もっとも、信州健康ランドには無料で使えるマッサージ椅子もあり(他のところではたいてい有料)、そちらで済ませても良かったかもしれません。
 ともあれ大変心地良くなって、そのあとしばらく部屋で過ごしてから、また入浴しにゆきました。翌朝は5時頃に眼を醒ましたので、またもや風呂に行きました。この健康ランドグループは、未明に1時間、清掃のための閉館タイムがあるだけで、ほとんどずっと入浴できるのでありがたい限りです。何度も行ったクレストホテルは、朝に風呂が開くのがけっこう遅くて、早立ちの場合は朝風呂に入れないのが不満と言えば不満でした。
 ショッピングセンターで買ったパンとコーヒー、それにプチトマトで朝食を済ませ、8時過ぎにチェックアウトしました。この日29日(火)は、少し遠回りして家に帰ります。

(2014.7.30.)

III

 駿河健康ランド・信州健康ランドに連泊し、7月29日(火)の朝にJR篠ノ井線村井駅を出発しました。
 塩尻松本のあいだにある村井駅は、事実上中央本線みたいなものなので、そのまま甲府方面へ向かえば、鈍行でも昼過ぎには東京に帰り着けます。しかし、この日は特に予定が入っているわけでもないし、せっかくの青春18きっぷをめいっぱい活用しないのももったいない気がしたので、大廻りして帰る計画を立てました。
 そこでまず、甲府や東京に背を向け、長野行きの電車に乗り込みます。飯田線飯田を早暁5時44分に出発し、最初の1時間足らずを快速「みすず」として走った電車が、8時27分に村井に停車するのですが、私たちが乗ったのはこの電車でした。
 最近の普通列車には珍しく4時間以上も走り続ける便なのですが、これもロングシートだったのでがっかりです。1時間半以上ロングシートに揺られ続けるのははっきり言って苦痛なのですが、全行程を乗り通す客など居ないと多寡をくくっての設定かもしれません。
 この辺の中心都市である松本を過ぎると、客も減って空席だらけになりました。篠ノ井線は筑摩地方と県北地方をを結ぶ鉄道であるわけですが、同じ県内でありながら、途中には県境クラスの山越えがあるあたりが長野県らしいと言えましょうか。

 聖高原などのある山間部を抜けると、長野平野を一望に見渡す姨捨(おばすて)の絶景が現れます。日本3大車窓風景のひとつに数えられる景観です。しかも姨捨は、いまやだいぶ少なくなったスイッチバック駅であるところも嬉しいところです。スイッチバックをしなければならないので、絶景をかなり長いこと眺めていることができるわけです。特急に乗ると本線を突っ走ってしまうので一瞬で過ぎてしまいます。また本線は駅より少し低いところを通っているため、わずかな差ですが景色そのものもランクが落ちます。鈍行乗車を推奨したいのがこの篠ノ井線です。
 この絶景をマダムに体験させてやりたかったのが、このルートを選んだひとつの理由でしたが、マダムは景色にはいまひとつ反応が薄い気がしました。しかしスイッチバックには大いに反応していました。いまひとつ彼女の感受性にはわからないところがあります。
 高所の姨捨から、ゆっくりと山肌を巻くようにして、電車は長野平野に下りてゆきます。篠ノ井しなの鉄道に合流し、9時58分、長野に到着しました。

 長野では飯山線のディーゼルカーに乗り換えます。このところ、ローカル私鉄にはちょくちょく乗っていますが、本格的に長いローカル線には少しご無沙汰していたので、この機会に乗ることにしたのでした。飯山線の真価は厳冬・豪雪の季節にあると私は思っていますが、夏でも悪くありません。
 3番線のプラットフォームの尖端を切り欠いた4番線が飯山線の発着場です。発車は10時16分で、まだ入線していませんが、思いのほか待っている旅客が多いので、早々と列に並びます。
 やがて、2輌編成のキハ110系が入ってきました。最近ではJR東日本の主力ディーゼルカーというべき車輌で、八高線小海線でもよくお目にかかります。軽量で高出力、この車輌の投入によりJR東日本の非電化区間の所要時間がかなり短縮されました。車体デザインもなかなかよくできています。クロスシートでもありますが、ただ惜しむらくは座席数が少ないのでした。片側2人掛け、片側1人掛けの向かい合わせのクロスシートです。同じスタイルを持つ関空快速などとは違って、座席を減らして大荷物のスペースを空けなければならないというような理由もありません。また首都圏の近郊電車にあった6ドア車のごとく、立たせること前提でとにかく収容人数を増やさなければ輸送力不足が懸念されるような区間を走るわけでもありません。なんのためにこういう座席レイアウトにしたのかよくわからない車輌ではあります。そんな車輌なので、早く乗り込まないと坐れないおそれがあるのでした。
 幸い2人掛けのほうのボックスに向かい合わせで坐ることができましたが、立っている客も少なからず居たようです。
 ただし、混んでいるのは始発駅からほんのしばらくのあいだだけ、というのもこの種のローカル線の特徴ではあります。信越本線と別れる豊野までに、だいぶ下車客が居ました。
 長野を出てからしばらく、間もなく開業する北陸新幹線と併走します。偶然、試験車輌が走っているのとすれ違いました。北陸新幹線が開業すると、信越本線の長野〜直江津間は第三セクター化されるわけですが、飯山線の扱いはどうなるのでしょうか。花輪線と同様、列車は長野発着で長野〜豊野間はしなの鉄道に乗り入れるということになるのか、それだと青春18きっぷで乗るのも面倒なことになりそうです。
 一旦別れた北陸新幹線ですが、飯山で再会します。ここには駅も設けられます。現在は長野から45分くらいかかってしまう飯山ですが、新幹線が開業すれば10分かそこらで到達することになります。東京からも1時間45分くらいになるでしょう。交通の便が劇的に良くなるはずで、飯山という町がこれからどう変貌してゆくか、楽しみでもあり不安でもあるというところです。
 戸狩野沢温泉で後方の1輌を切り離し、あとは単行運転で十日町に向かいます。
 飯山線は、飯山のような比較的大きな盆地では川から離れますが、ほぼ千曲川の流れに沿って走ってゆきます。千曲線と名付けても良かったような路線です。この日本最長の川は、さまざまな表情を見せながら、悠然と下ってゆきます。線路はその流れに寄り添いつつ、あまりに川が屈曲しているようなところでは諦めてトンネルに入ったりします。「川は道の母である」と言った人が居ましたが、飯山線はそのことを実感できる路線だと思います。
 鉄道最高積雪記録を持つ森宮野原が長野県内最後の駅で、そこからトンネルを抜けると新潟県に入ります。それと共に、千曲川も信濃川と名前を変えます。
 次第に谷が広くなり、水田が目立つようになり、12時37分に十日町に到着しました。

 この先、越後川口まで抜けるためには、52分後に発車する列車に乗り換えなければなりません……ということに時刻表ではなっているのですが、実際には十日町に着いたその列車が52分待ってそのまま越後川口へ向かいます。そのまま乗っていても構わないのですが、ちょうど昼時ですし、この待ち時間を利用して昼食をとろうと思っていました。
 マダムは到着前、携帯電話で十日町のグルメ情報をあれこれ検索していました。いろいろ良さげな店はひっかかったようですが、あいにくと駅からはあまり近くないようです。
 テレビドラマの「孤独のグルメ」で扱われたドライブイン内の店があるとか、タレントの石塚英彦「超まいうー」とお墨付きをつけた店があるとか、マダムはいろんな情報を教えてくれましたが、50分の待ち時間で行って食べて来るのはどうやら無理そうでした。私のような旅のしかたをしていると、50分もあれば食事には充分すぎるほどなのですが、女が同行しているとなかなかそうもゆかないようです。次の列車を待とうにも、何しろローカル線ですから、2時間後とかになってしまい、今度は時間をもてあますばかりか、その後の行程にも支障を来します。
 十日町駅の反対側のプラットフォームに、この夏投入された和風レイアウトのリゾート快速「越乃Shu*Kura」が停まっており、マダムがそれを興味深そうに見ていたりしたので、さらに時間が少なくなりました。「越乃Shu*Kura」は主に週末だけの運転で、火曜日であるこの日は走っていません。十日町駅で休息を取っていたようです。
 駅の外へ出ると、そば屋などはありましたが、マダムはあまり食指が動かないようです。少し歩くと、曲がり角の先に大きなショッピングセンターが見えました。わりと新しい商業施設であるようです。そちらへ行ってみると、デパートの食堂然とした、ラーメンでもカレーでもクリームパフェでもなんでもあるようなレストランがテナントとして入っていました。十日町、すなわち魚沼地方ならではというものでは全然無いものの、時間が無いのでやむを得ません。そこに入って、定食のようなメニューを頼みました。
 ところが、料理が運ばれてきてみると、10分かそこらで食べきらないと列車に乗り遅れそうなタイミングになってしまいました。幸いなことにご飯がおにぎりの形になっていたので、私たちはそれをナプキンで包んでバッグの中に放り込み、他のラーメンやら唐揚げやらを大急ぎで食べました。実際10分ほどで会計を頼んだので、店員もあっけにとられていたかもしれません。
 駅に戻って、越後川口行きと表示を変えたさっきのディーゼルカーに乗り込むと、すでにだいぶ客が乗っています。とはいえ、2人掛けのほうの座席、つまり4人向かい合わせのところにひとりずつ坐っているばかりなので、
 「そこらに坐らせて貰おう」
 と私がマダムに言うと、坐っていた高校生のひとりがあわてたように席を立ちました。何も空けてくれと言ったわけではなく、空いている席に坐ろうとしただけなのですが、なんだか悪いことをした気分です。
 しかし実は、そう案ずることもなかったのでした。反対側の、さっき「越乃Shu*Kura」が停まっていたプラットフォームに、逆向きの列車が入ってくると、高校生はそちらへ移ったのでした。外が暑いので、乗る列車が来るまでこちらで涼んでいたということであったようです。
 発車してから、さっきのおにぎりを取り出して食べました。ほかほかの温かいご飯だったため、包んでいた紙ナプキンにご飯粒がだいぶ張りついてしまい、少々難儀しましたが、さすが魚沼地方、あんななんでもレストランとはいえ、ご飯はたいへん美味でした。

 30分ほどで越後川口到着。この駅を通ったことはずいぶんありますし、飯山線と上越線の乗り継ぎをしたことも何度かありますが、今回は10分ほど時間があったので、改札から外に出てみました。特になんの変哲もない田舎駅ですが、駅前のタクシー営業所に「川口営業所」とあったのでマダムがいたく気に入ったようでした。私たちが住んでいる埼玉県の川口と較べ合わせて喜んだようです。
 「日本中の『川口』のついた駅を訪ねてみたい」
 などと言いました。鉄道駅としては、うちの川口の市内にある西川口・東川口・川口元郷の他、「川口」のつくものは次のとおりです。

 ・越後川口(新潟県)……JR上越線・飯山線
 ・安治川口(大阪府)……JRゆめ咲(桜島)線
 ・白川口(岐阜県)……JR高山本線
 ・会津川口(福島県)……JR只見線
 ・岩手川口(岩手県)……IGRいわて銀河鉄道
 ・舟入川口町(広島県)……広島電鉄

 越後川口は、魚野川が信濃川に合流する地点の周辺を昔「川口」と呼んでいたことに由来するようです。

 14時10分発の上越線上り電車に乗ります。実はこの電車が、この日のスケジュールを決定したのです。
 だいたいスケジュールを決定するには、いちばん困難なところに照準を合わせるのが鉄則です。会合などでも、なかなか出てこられない人を優先的に考えなければなりません。
 鉄道旅行の旅程を作る時は、列車が少ないところをまず確定することになります。この日の旅程でいちばん列車が少ないのは、意外にもローカル線である飯山線ではなく、上越線の越後中里水上間でした。この区間を走る定期列車は、実にわずか5往復しか存在しないのです。「幹線鉄道網」であるにもかかわらずこれほどに過疎化した区間は珍しいのではないでしょうか。
 14時10分発の電車は、その数少ない1本なのでした。これを逃すと、2時間40分ほどあとの電車になり、帰宅が遅すぎることになります。それでなんとしてもこの電車を捕捉しなければならず、そのためには飯山線の長野発を10時16分にしなければならず、そのためには信州健康ランドを8時過ぎに出てこなければならなかったのでした。
 上越線は、新幹線開通前はまさに大動脈で、ひっきりなしに特急や急行が行き来する文字通りの幹線でした。その頃は、決して「乗って楽しい路線」という意識はありませんでした。
 しかしいまや、鈍行のみ(渋川以南は「草津」「あかぎ」が走るとはいえ)、しかも1日5往復などという極端な過疎路線となって、虚心に車窓を眺めると、東海道線真鶴海岸附近同様、そこらのローカル線などかすんでしまうようなすばらしい車窓風景であることがわかります。新清水トンネルの前後など、緑の洪水に圧倒されるような山岳美、渓谷美です。しかも真鶴海岸あたりと違って、一瞬で通り過ぎたりはしません。相当に長い間、深山の嵐気を浴び続けることができます。上越線の沼田土樽間は私のお気に入りの区間のひとつとなっています。
 土合で登山客がだいぶ乗ってきました。谷川岳の最寄り駅です。普通はバスで水上に出るのが便利なのですが、ここから電車に乗るというレア体験もしてみたかったのかもしれません。
 水上で乗り換えになりますが、隣り合ったプラットフォームに停めてくれれば良さそうなものを、わざわざ狭苦しい階段を上り下りさせるようになっていました。本当に狭苦しく、エスカレーター程度の幅しかありません。登山客などが一斉に乗り換えようとして事故が起こるのを防止するためかもしれません。

 高崎には16時36分に着きました。わりと早い時間なので、マダムに奨められて眼科医に行くことにしました。日曜にコンタクトレンズが行方不明になって、まだ出てきません。もしかしたら気づかないうちに取れてしまったのかもしれないし、あるいはまぶたの裏とか眼球の裏側にへばりついているのかもしれません。とにかく診て貰えば安心だろうということで、駅の近くにあった眼科に飛び込みました。
 旅先でもあるし、余計な検査などはしなくて良いつもりでしたが、眼医者における眼圧検査や視力検査は、居酒屋におけるお通しみたいなもので、初診時には避けて通れないお約束だったようです。それをすませてから、学校の校長先生みたいな感じの女医さんに診て貰いました。
 拡大鏡と光源を突きつけられて、言われるがままに左下を向いたり右上を向いたり、しばらく眼球を動かしました。結果は、
 「見つからない」
 ということでした。「無い」ということなのか、「眼球をほじくり出してみれば裏側あたりにあるのかもしれない」ということなのか、ちょっと微妙な診断である気がしましたが、とりあえずどこかでいつの間にか取れてしまっていた可能性が高いようです。だいぶ充血しているからと言うので、点眼薬を2種類渡されました。ゴロゴロ、ちくちくしていたのはコンタクトレンズのせいではなく充血していたせいだったと思われます。

 ひとまず安心してから、ウナギ屋を探しました。29日は土用の丑の日だったので、高崎でウナギを食べる予定にしていました。
 が、ウナギ屋というのは、いざ探すと案外見当たらないものです。高崎のウナギ屋については私は事前にぐるなびで調べてあったのですが、駅の近くには登録された店がありませんでした。
 しばらくウナギ屋を求めて街の中を歩きましたが、どうにも見当たりません。専門店ではなくともウナギを供する店はないかと思い、あちこち覗きましたがらちがあかないのでした。マダムはどういうわけか、ダイニングキッチンなにがしとか、カフェなにがしとか、洋風な店ばかり覗こうとするので、
 「覗く店を間違ってないか」
 と指摘すると、
 「丑の日なんだからウナギを出すところもあるんじゃないの。あたしが店主だったら絶対出すよ」
 と言い返してきました。
 「いや、そもそもウナギを仕入れるルートが無いだろ。ただでさえ品薄なのに」
 「闇ルートがあると思う」
 「なんでダイニングキッチンのマスターがウナギの闇ルートを知ってるんだ」
 あれこれ言い合いながら探し歩き、ようやく一軒見つけましたが、売り切れたとかで閉店になっていました。それはそうだよなあ。
 それ以上歩く気がせず、駅に戻りました。実は駅構内の出店で、ウナギ弁当を売っているのをさっきから認識していたのですが、まずは店を探すということで見送っていたのでした。しかし、こうなっては駅のウナギ弁当を買って帰るのが次善です。
 出店では800円のと1500円のを売っていました。1500円のほうはちゃんと「愛知県産」と表示していましたが、800円のほうにはそういう表示が無く、たぶん中国産ウナギでしょう。マラカイトグリーンの事件があってから、中国産ウナギはどうにも食べる気がしません。最近は期限切れ鶏肉の事件もあり、中国産食品の信用度は下落する一方です。
 かろうじて、1500円の最後の2パックを買うことができました。店で食べればひとり3000円はすると思われるので、安くついたとも言えます。
 その出店は、駅ビルの食品売り場にある魚屋が出していたことがわかりました。それなら間違いもないでしょう。ウナギは帰宅してから食べるとして、少々小腹がすいていたので、駅構内のフードコートでタコ焼きなどを食べてから、通勤快速電車に乗って帰宅しました。

 家に着いてから、ウナギはおいしく賞味しました。
 あと、持って行った五線紙は無駄にはなりませんでした。『セーラ』の続きを書くというわけにはゆきませんでしたが、その他に頼まれていたお琴の曲の主題をいくつか、入浴中に発想して五線紙に書き留めておいたのです。その主題を展開させるのが大変なのは事実ですが、特に器楽曲の場合は最初のアイディアを得るのも容易ではありませんから、いちおうこれで安心できました。その意味でも実りある旅行であったと思います。

(2014.7.31.)


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