I 2014年夏の青春18きっぷが1区画残っていましたが、有効期限が今日(9月10日)までです。無駄にしないために、出かけてくることにしました。まあ、このあいだの「大『環状線』の旅」の時に、ひとり1万円以上、ふたりだったので2万円以上の距離に乗ることができ、青春18きっぷの値段(11,850円)の元はとっくにとっているので、無駄にしても損ということにはならないのですが、それでも1区画残して期限切れになってしまうというのはなんとなく気分が悪いものですし、今日は幸いとりたてて用事もありませんでしたから、消化試合に出るにしても支障はありません。 そんな理窟をこねるまでもなく、私は列車に乗っているのが好きなので、出かけられる日を虎視眈々と窺っていたというのが本当のところで、それがたまたま最終日の今日であったというだけの話です。 さて、日帰りで鈍行旅行をしてくるとして、どこへ行こうか、と考えて、はたと困りました。 時刻表の索引地図をつらつら眺めるに、日帰りで乗ってこられる主だったJR路線には、ここ数年ほどのあいだにほぼ乗り尽くしてしまった観があるのです。 むろん私はずっと昔から乗り潰しを試みており、JR路線に限って言えば、九州以外はほとんど既乗となっています。ほとんど、と言ったのは山形新幹線にまだ乗ったことがないからで、在来線にはすべて乗りました。 しかし、その中には高校時代に乗ってそれっきりというような路線もありますし、20年以上ご無沙汰というくらいのものならずいぶんたくさんあります。そういう路線にはまたいずれ乗り直してみたいと思っていますけれども、さしあたり自宅から日帰りで、鈍行だけで行ってこられる範囲となると、ほとんどが記憶に新しく、久しぶりに乗ってみようかというところがかなり少ないのです。 小海線や鹿島線には去年の夏乗ったし、飯山線にも水郡線にもついこのあいだ乗ったし、身延線は少し前になりますがそれでも4年前に過ぎないし……それより外のエリアになると、日帰りで鈍行だけで行ってくるのは困難です。例えば只見線や飯田線にだったら乗ってきたいものですが、往復に新幹線などを使わざるを得なくなります。新幹線や特急を使うと、特急券のみならず運賃も別に払わなければならないのが青春18きっぷのルールですので、これはさすがに躊躇します。 御殿場線や伊東線にはしばらく乗っていませんし、青梅線の先端部分、五日市線、鶴見線、吾妻線の奥のほうなどもご無沙汰しています。ただそれらはどうも、発展性が乏しいというか、終点まで行ってそのまま帰ってこなくてはならないとか、他のご無沙汰路線とつなげづらいとか、あまり食指が動かないのでした。青春18きっぷでなくても良いんじゃないか、という気分がぬぐえません。 考えた末に、千葉を乗り倒してやろうということに決めました。 千葉県というのは、利根川と江戸川により他の都県と完全に区切られていて、橋を渡らなければ出入りできないという点で、「離れ小島」などと揶揄されることがあります。 それと同じく、JR路線の上でも、なんとなく他の地域からの独立性があるような気がします。いわゆる房総特急(「しおさい」「あやめ」「わかしお」「さざなみ」)は東京と千葉県内を結ぶだけで、他の県にはまったく無関係ですし(臨時列車は除く。また「あやめ」には茨城県内の鹿島神宮発着の便がありますが、現在は鹿島線内が普通列車扱いになっているので、特急として走るのは千葉県内だけです)、特急・普通を問わず使っている車輌が独特です。 もちろん千葉県と言っても、常磐線も、武蔵野線も、京葉線もあるわけですが、イメージとしての千葉エリアというのは、千葉駅を要として扇のように拡がった、総武、成田、外房、内房の各線とその支線群を指します。千葉駅を通らなければどこへも行けないという印象があります(実際には京葉線などでスルーできますが)。だから千葉駅より東京寄りの市川とか船橋とかは少し別という気もします。 労働組合なんかも「千葉支社」は妙に独立性が強く、また独特な存在だったようで、国鉄がJRになっても「千葉動労」はいろいろと扱いが難しかったと聞きます。 ともかく、千葉県内の路線というのは不思議な味があります。そして上記の4幹線の各線とも、「ご無沙汰」な区間が少しずつ残っていたので、それらをつないで乗るというのは、日帰りの鈍行旅行として悪くないプランかと思われました。 内田百の阿房列車シリーズに、「房総鼻眼鏡」という一篇があります。当時(昭和28年12月)は総武本線の東京ルートがまだ無く、房総へ向かう「列車」はすべて両国発着でした。百鬼園先生はここを起点に、総武線で銚子へ行き1泊、成田線で千葉へ戻って1泊、内房線(当時は「房総西線」)で安房鴨川へ行き1泊、外房線(当時は「房総東線」)で戻ってきて稲毛で1泊……のつもりがひどい宿だったので逃げ出して帰ってくるという、悠然たる旅行を愉しみました。その頃は房総には特急はおろか急行も準急も走っておらず、列車はいまよりもちろんずっと遅く、便数もはるかに少なかったでしょうが、それにしても百鬼園先生が3泊4日もかけて廻ったのと類似したルートを、一日のうちに廻ってきてしまうのだから、便利になったものだというかあわただしいものだというか。 大体のルートはイメージしていましたが、今朝出かけられる時刻によっても違ってきそうなので、行程はファジーにしておき、とにかくできるだけ早く出ようと思いました。 特に目覚まし時計もかけずに寝たのですが、幸い5時15分くらいに眼が醒め、朝の支度などを済ませて、6時5分前に家を出ました。駅へ向かう道にはもうけっこう人通りがあります。 6時9分の京浜東北線電車で、まず日暮里へ向かいました。千葉エリアへは総武線経由にしろ京葉線経由にしろ、東京か秋葉原で乗り換えないと入れないような気がしますが、ひとつだけ例外があります。常磐線の我孫子で分岐している成田線です。成田線は総武線の佐倉から分岐し成田を経て銚子へ向かうのが本線と呼ぶべきルートですが、その他に我孫子と成田を結んでいる支線があります。かつては両方にまたがって運転する列車もありましたが、現在では完全に運行が分離され、支線のほうはむしろ常磐線とのつながりが強く、上野から直通の電車が走っていたりします。 この成田支線には何年か前に乗ったのですが、その時は陽が暮れたあとだったので、車窓は全然見えませんでした。それで、千葉エリアへの進入路として、これを選んだのでした。 日暮里でやってきたのは成田線直通ではなく、6時34分発の勝田行きの列車でした。朝の下りなのにけっこう混んでいます。 この列車、不思議なことがひとつありました。松戸に着くと、プラットフォームをはさんだ隣に、緑帯の、通勤型の快速電車がすでに停まっているのです。見ると取手行きなので、同方向です。ところがその電車から、こちらの勝田行きに乗り換えてくる客がかなりたくさん居り、それらを収容すると、こちらの列車は取手行き快速をあとに残して先に発車してしまったのでした。常磐線の中距離列車は、かつては近郊型の快速電車より格上みたいなところがありましたが、現在では特別快速を除いて停車駅も同じになり、まったく同格となっています。その同格の電車同士で追い抜きをおこなうという、なんとも変なことが起こっていたのです。 古くは山陽新幹線で「ひかりを追い抜くひかり」が話題になったり、寝台特急「はやぶさ」を特急「つばめ」が追い越すなどという現象があったりしましたが、それらは実際には同格同士ではありません。山陽新幹線のは、途中から各駅停車になった「ひかり」を速達型の「ひかり」が追い抜いたというだけで、実質的には「こだま」を「ひかり」が抜くのとなんら変わりはありませんし、機関車牽引の寝台特急と最新鋭電車特急を同格と見なすのも無理があります。しかし、今朝の松戸駅の追い抜きは、本当に同格である快速同士が追い抜きをやっていたので、驚きました。 我孫子では乗り換え時間が2分しか無かったので心配しましたが、同じプラットフォームで乗り継ぎができたので楽でした。乗った車輌には「15号車」の表示があり、15輌で成田線を走るのかと驚きましたが、実際には5輌編成でした。1〜10号車は我孫子までこの電車を併結してきて、ここで切り離して取手へ向かったものと思われます。 常磐線と分かれるとすぐ単線となりますが、輸送量はかなり多いようで、私の乗った成田行きも立ち客が目立ちますし、すれ違う列車は10輌編成でも相当な混みかたになっていました。途中駅で客の入れ替わりはありますが、最後までさほど空くことなく、7時49分成田着。この線は部分的にでも複線化をするべきではないかという気がします。 成田からは成田線本線に乗って銚子へ向かうつもりですが、30分ばかり時間があったので、改札を出て駅そばを食べました。どんより曇ってはいますが、雨模様ではありません。 電車は青と黄色のライン、いわゆる房総色に塗られた209系です。長らく房総を支配してきたスカ色113系(昔の横須賀線を思い出してください)は、さすがに寄る年波に勝てず役目を終え、いまはこの209系が我が物顔に闊歩しています。今日一日乗り回していて、千葉エリアだけを走る普通列車としてはこれ以外の車輌は眼にしませんでした。ほぼすべてがこの車輌になったと考えて良いのでしょう。 209系といえば、京浜東北線でもつい最近まで走っていた、「走ルンです」などと揶揄された簡素きわまる車輌ですが、私の乗った車輌は思いがけずセミクロスシートになっていました。飲み物置きのミニテーブルまで設置されています。すれ違う列車などもよく観察してみると、房総型209系(マニアは2000番台・2100番台と呼びます)はすべて4輌あるいは6輌の固定編成で、両端の車輌のみセミクロスシート、中間車輌はロングシートということになっていることがわかりました。去年この車輌に乗った時はロングシートばかりだったので残念に思いましたが、先頭もしくは後尾の車輌に乗らなかったのでしょう。 それがわかったので、私は今日、このあともすべて先頭か後尾の車輌に乗るようにし、結果的にずっとボックスシートに乗っていることができました。1列車につき2輌だけとはいえ、JR東日本にしては感心感心、と思いました。それともやはり千葉支社カラーというものでしょうか。 さて、成田線はひたすら利根川に沿って走る路線と言って良いでしょう。千葉県の北辺、昔ふうに言えば下総の国の北部を真横に突っ切るように走っています。ただし車窓から利根川の水面が見えるところはありません。土手だけなら滑河(なめがわ)のあたりで近づきます。 どういうわけだか、成田線の駅の駅名板だけ、JR東日本お仕着せの緑線の入った白板ではなく、妙におしゃれなデザインになっています。全体のフレームも四隅を切り落としたなだらかな形になっていますし、駅名は藍色地に白抜き文字、隣駅表示はその反転になっており、花のカットが添えられています。字のフォントも上品な楷書体です。同じ千葉エリアでも、他の路線ではこんなしゃれた駅名板を使っていません。どういうつもりなのか、不思議に思いました。 終点の銚子まで乗ってゆくつもりでしたが、ひとつ手前の松岸で下りることにします。というのは、成田線は松岸で総武線に再会し、銚子までひと駅乗り入れる形になっているのですけれども、次に乗るつもりだった総武線の上り電車が、この松岸で下りるとほとんど待たずに乗り換えられることがわかったからです。時刻表で見ると、乗ってきた成田線下り電車と、接続する総武線上り電車は両方とも9時44分になっていて、乗り換えは無理そうに見えるのですが、実は成田線はその3分前に到着して総武線を待っているのでした。同一プラットフォームの乗り換えでもあり、非常に便利なのです。 銚子まで行ってしまうと、次の電車を1時間以上待たなければなりません。別に急ぐ道中でもないし、1時間くらい待っても良いとも言えますが、そうすると最後のほうが日暮れあとになってしまいそうで面白くありません。銚子には去年(2013年)来たばかりだし、別に足跡を記してこなくても良いかと思いきり、松岸で乗り換えてしまうことにしたわけです。 成田線と総武線は、途中のルートが違うだけで同じところへ向かうし、両方とも下総の国の中だけを走るし、よく似た雰囲気を持っています。 しかしながら、車窓の趣きは若干違うことに気がつきました。 成田線の車窓は、基本的には田んぼです。そこかしこに雑木林があり、合間に民家がちらほらと建っている風景です。 これに対し、総武線のほうは田んぼが少なめで、切り通しが多いせいか林や竹藪の中を走っているような気がする箇所が多いようです。また沿線に市、それも昨今の合併でできたわけではなく昔からの市がいくつもあるだけに、建物は成田線の車窓よりもずっと多くなっています。 銚子〜成東間は、ここ数年中に2度ばかり乗っていますが、成東〜佐倉間の22キロばかりが「ご無沙汰」区間でした。そこを駆け抜けて、佐倉着11時10分。さきほどの成田駅からは13キロほどしか離れておらず、直行すれば12、3分で移動できるのですけれども、さっき成田を出てから2時間50分が経過しています。 電車はそのまま千葉へ向かいます。後半の外房・内房めぐりをするためには千葉まで出なければなりませんので、私も乗ったまま終点へ。11時28分、千葉到着。 (2014.9.10.) |