時刻表を「読む」

 鉄道が好きだ、時刻表が好きだと言うと、
 「でも最近はネットで乗り換えを出せるから、あまり紙の時刻表は要らないでしょう」
 と問い返してくる人が居ます。
 確かにネットの乗り換え案内は便利です。私もちょくちょく利用しています。マダムなどは徹底していて、乗り換え案内をチェックせずに外出することはまずありません。それでいつもギリギリに出かけようとしています。少し余裕を持って出かけたらどうだと助言するのですが、乗り換え案内で最速のルート、つまりいちばん遅く出られる列車を確認してしまうと、それより早く出る気にはならないようです。もっともマダムは外出準備にかかる時間の予測が常に甘く、その「いちばん遅く出られる」列車に乗り遅れてしまうことがままあるのですが……。
 私はそこまで乗り換え案内に依存してはおらず、小一時間とか一時間半とか概数で見当をつけて出かけることが多くなっています。家から出るときに乗り換え案内に頼ることはあまりありません。首都圏のように、次から次へと電車が走っているような地域では、それでだいたい問題ないのでした。ただ、予想外に電車の間隔が空いている時間帯があったりして、その場合は困ることもあります。また、出先ではやはり乗り換え案内が役に立ちます。特に、用事が連続していて移動しなければならないときには重宝します。
 しかし、ならば紙の時刻表はもうあまり利用しないかと言えば、そんなことはありません。泊まりがけで出かけるような場合は、私は相変わらず大判のJTB時刻表を携えてゆきます。それだけでかなり荷物が重くなってしまうのですが、構っては居られません。
 JTB時刻表を使っているのは、長年「国鉄監修・交通公社の時刻表」を使い続けてきた流れによるものです。最近は同じ時刻表でもJR時刻表を使う人が多いかもしれませんが、編集方針とか掲載方法とかが、私にはJTBのほうが使いやすいのでした。
 JTBにせよJRにせよ、紙の時刻表には弱点があります。そのひとつは、山手線京浜東北線といった旧国電が抄録になってしまっていることです。初電から何本かと、終電までの何本かを掲載し、そのあいだは「この間 ○〜○分毎」という具合に省略しています。それはそうで、数分おきに走っている旧国電を全部収録したら、すでに毎号千ページを超えているページ数がさらに増えてしまい、重さも半端ないことになってしまうでしょう。
 また、私鉄各線はさらに抄録されています。急行何分おき、準急何分おき、みたいに書かれてはいるものの、実際に何時何分に出てどの駅で待ち合わせする、なんてことは全然わかりません。さらにバス路線に至っては、ほぼ観光路線と都市間連絡路線くらいで、都営バスのような生活路線はほとんど載っていません。
 だから乗り換え案内のほうが便利、ということは言えます。また、「えきから時刻表」のようなネット版の時刻表だと、スペースを顧慮する必要がないので、繁忙路線でも全列車が掲載されています。私鉄を多く使う旅行の計画などでは、私も「えきから時刻表」をよく利用します。
 それでもやはり、紙の時刻表を手放す気にはなれないのでした。
 なぜなら、われわれ時刻表好きというのは、時刻表で列車の時刻を「調べる」のではないからです。いやもちろん「調べる」こともありますが、より正確には、時刻表を「読む」ことをこよなく愛する人種であるのです。

 「調べる」だけなら、乗り換え案内やえきから時刻表のほうが便利でしょう。
 しかし、そこには「読む」愉しみがありません。
 「時刻表を読む」とはどういうことなのか、ひとことで説明するのはなかなか難しいものがあります。普通の人にとって時刻表は単に「調べる」ためのもので、電話帳などと同じカテゴリーに属する書物でしょう。
 ただ、同じ「調べる」ための書物であっても、「辞書を読む」ということであれば、なんとなく想像がつく人が多いのではないでしょうか。何か言葉の意味を調べようとして辞書を引いて、ついついその言葉の前後にあるような言葉の説明を読んでしまい、ついでにあちこちページを繰って読みふけってしまう……ということなら、経験した人もそこそこ居そうな気がします。
 「時刻表を読む」のも、それに近いかもしれません。文字ではなくて数字がメインであるところがちょっと異質でしょうが。
 もちろん、時刻表にも文字はたくさんあります。厖大な駅名、列車名、運転期日の表示、それから月報のページなど。しかし、圧倒的に目立つのは数字です。
 そして確かに、「時刻表愛読者」は、主に数字を読んでいるようです。

 たとえば地方のローカル線のページを開けます。
 昔は、かなりローカルな路線でも急行が走っていたりしたものですが、いまはすっかり淘汰され、細字で書かれている普通列車しか走っていないところがほとんどです。
 たまに、快速が走っていたりします。しかし、先行する鈍行を追い抜いている形跡がないので、この路線には追い越し設備のある駅がひとつもないらしいということがわかります。
 ローカル線ですから、当然単線でしょう。
 上下線の時刻を読み較べると、同じ駅を同じ時刻、あるいは1、2分差で発車している場合があります。その駅には行き違い設備があると判断できます。
 ごく稀に、単線なのに駅と駅のあいだですれ違っているとしか思えないケースもあります。この場合は、時刻表に掲載されていない信号所が途中にあると考えられます。実際にその路線を乗りに行って、思ったとおりの場所に信号所を発見したときの達成感というか充足感というか、これは時刻表を「読まない」人にはきっとわかりますまい。
 今度は幹線のページを開けます。
 最近は幹線と言っても、新幹線が並行しているおかげで普通列車ばかり走っているところが多いのですが、それでも特急がじゃんじゃん走っている路線はまだまだたくさんあります。
 そういうページの、普通列車の時刻を読んでゆくと、ときどき駅間でやたらと時間がかかっているように見えることがあります。他の列車が5分で走っているところを、12分とか要しているとすれば、これはその区間を遅く走っているわけではなく、駅に着いてから7分くらい停車していると判断できます。時刻表において、大きな駅では着時刻と発時刻の両方が掲載されていますが、たいていの駅では発時刻しか載っていませんので、こういうことは推測するしかないわけです。
 なんのためにそんなに停車しているかというと、特急に抜かれるためというのがいちばん多いケースです。
 昔は、鈍行が急行に抜かれ、その急行も後続の特急に抜かれたりして、まさに抜きつ抜かれつの手に汗握るデッドヒート(?)が繰り広げられていたものでしたが、最近は特急ばかりになって、その点えらくシンプルになってしまいました。ちょっと時刻表を読む愉しみが減じたような気もします。
 特急同士でも、長距離の客車寝台特急が、30分おきに走っている電車特急から逃げ切れずに、途中の駅で追い抜かれるなんてイベントが以前はあったのですが、そういう現象もほとんど無くなりました。
 特定の日だけ時刻が異なっている列車があります。その日はたいてい、近い時間帯に臨時列車が走っています。過密ダイヤの中に、臨時列車をどうやって割り込ませたのか、スジ屋さん(ダイヤ作成者)の苦労を偲ぶこともできます。
 一例また一例を挙げたにとどまりますが、こういったことを夢中になって読み解いているのが時刻表愛読者なのでした。普通の人から見ると、何が楽しいんだと思うことでしょうが、数字の羅列の中からいろいろと読み解く愉しみはこたえられません。

 私が物心ついたのは新潟県長岡に住んでいた頃で、いまは廃止された越後交通栃尾線というローカル私鉄の沿線に居ました。『幼年幻想』という歌曲集の最初に置かれている「電車」という歌曲は、この栃尾線をイメージしたものです。作詩者の矢澤宰が詠った「電車」は、まさにこの栃尾線に違いないと推理したのでした。夭折の詩人は新潟県の見附市に住んでおり、当時はまだ国鉄の信越本線は電化されていなかったはずですので、矢澤が接した電車といえば栃尾線しか考えられません。そう気づいたときに、「電車」の曲想が一気に浮かんだ……という話は、どこかに書いたと思います。
 私の家は、その栃尾線の、下新保(しもにいぼ)という駅の近くでした。チョコレート色の電車に乗ると、確か次が下長岡、それから中越高校前袋町という駅があって長岡駅に着きました。いくつか駅を抜かしているかもしれませんが、私の記憶ではそうなっています。なお、下新保の家に住んでいたのは1年かそこらで、そのあと干場という、長岡駅により近い場所の社宅に引っ越しました。
 その長岡駅から列車に乗って、父の実家のある東京と、母の実家のある札幌に行ったのを憶えています。
 札幌には確か1回行ったきりではなかったかと思います。当時はディーゼル特急であった「白鳥」に乗った記憶があります。
 東京には何回出かけたのかはっきりしませんが、特急「とき」「はくたか」「いなほ」に乗ったことがあるのは確かです。急行「佐渡」にも乗りました。それとは別に、高崎線が不通になっていてなぜか両毛線まわりをしたような憶えもあります。往路と復路とどっちがどうだったのか、よくわかりません。
 ともあれ、幼児の頃からけっこう特急などに乗っており、私が鉄道好きになったのはそのおかげだろうと思います。もっとも母の証言によると、さらに以前から、ずっと飽きもせずに電車の玩具で遊んでいるような子供であったそうなのですが、そのわりには車体マニアにはなりませんでした。
 東京の祖父母の家にあった時刻表を、熱心に読みふけっていた記憶もあります。そのうちの1冊、1970年の何月号であったかを、ずっと時が経ってから貰ってきました。私の持っている最古の時刻表で、いまよりはるかに薄い本ですが、廃止された私鉄などもいろいろ載っていて、ときどき見返すと興が尽きません。
 それから、数年にいちどくらい父が買ってくる時刻表を一生懸命に読みました。自分で買い始めたのは中学に入ってからだったかと思います。手許に残っているものとしては1978年というのが、上に触れた70年の次に古いようです。ちょうど、私が自分の意思で旅行をはじめた頃でした。
 以後40年近く、時刻表は私の変わらぬ愛読書でした。
 国鉄改革で、赤字ローカル線が次々に廃止されていた頃は、時刻表の索引地図がまさにスカスカになってしまう夢を何度も見ました。実はつい最近も同じ夢を見ています。ローカル私鉄の廃止や、JRの大赤字区間の廃止がふたたび取り沙汰されてきたからかもしれません。例えば東北線を見ても、黒磯あたりまでしか線路がつながっていなかったりするのです。それから飛び飛びに、仙台附近にちょっと残っていたりとか。北海道など函館線・千歳線のラインより東や北のほうは全滅して、バス路線を表す線だけがむなしく描かれています。本文の表のほうも、見も知らぬ駅で路線が途切れていたりしました。私にとっては本当に悪夢で、ぎょっとして眼を醒ましたことが何度もありました。
 このように思い入れのある時刻表ですから、ネットが便利になったからと言って、そうそう手放すことはできません。
 なんといっても、広い時間帯を一覧できるのが紙の時刻表の強みです。「読む」にはその一覧性こそ大切です。上に書いたように、上下線をさっと見較べられるのも良いところです。えきから時刻表では、ある駅を選んだのち、どの路線のどちら向きの列車なのかを指定して検索しますから、上下線を一度に見ることはできません。
 要するに、紙の時刻表を「読み」、実際の旅行の計画を立てるときにはネットを併用するというのが最近の私のスタイルになっています。
 紙の時刻表は、今後も当分は無くならないでしょう。私も、最期まで時刻表の愛読者であり続けるのではないかと思っています。

(2016.11.26.)


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