忘れ得ぬことどもII

『月の娘』制作記

台本作成

 一昨年の夏、新田恵さんのリサイタルで、オルガン曲『The Dance at Twilight』を初演しましたが、来年の夏に再度予定しているコンサートのため、また作曲を頼まれています。
 今度は「独唱と舞踊のための」曲ということで、詳しくはまた後日書くつもりですが、ともかく題材は「竹取物語」ということにしてあります。
 日程的にだいぶ余裕があるので、ずっとほったらかしにしていたのですが、さすがにそろそろ台本くらいは渡さなければならない時期になりました。
 泥縄の観がありますが、とにかく岩波文庫刊の「竹取物語」を読み返します。というか原文を全部読んだのは今回がはじめてのことでした。高校時代に古文の教科書に載っていたのは、ほんの一部だけだったと思います。
 そこから、独唱のためのテキストを抽出します。私がモノドラマの作成の時によくやっている作業です。地の文も含めた「朗読」に近い台本にするのもひとつのやりかたですが、私はひとりのキャラクターのモノローグという形にまとめるのが好きです。この場合は歌い手がソプラノなので、当然かぐや姫のモノローグになるわけですね。
 ただこのかぐや姫という人物、今ひとつ何を考えているのかわからないところがあります。求婚する貴公子たちに押しつけた無理難題はいったいなんのためであったのかよくわかりませんし、見ようによってはえらくイヤな女です。月世界から地上に下りてきて、世の中をひっかき廻した揚げ句に、なんにも責任を取らないで去ってしまうわけですから。
 そういうかぐや姫の内心に少々分け入って、ある程度は見る人の共感──少なくとも理解──を得られるモノローグを引き出さなければなりません。何しろ原典が古文ですし、なかなか厄介な作業です。
 まあ、アラクネにせよ孟姜女にせよエロイーズにせよ、遠い昔の女性ではあったわけで、人間のものの感じ方などというものは千年や二千年経ってもそんなには変わるまいという楽観に基づいて台本を作成しています。かぐや姫は自分の国の古典であるだけにかえってとっつきづらさがあるようでもありますが、それでもなんとか台本にまとめることはできるでしょう。

(2011.6.24.)    

台本完成

 台本は無事に委嘱者の新田恵さんに渡せました。新田さんは「川口第九を歌う会」の講師のひとりで、先日の演奏会のときに合唱補強要員として出演しており、その時に手渡すことができたのでした。
 この作品を初演する演奏会は、来年の8月末の予定ですから、だいぶ先の話ではあります。日程だけは決まったものの、場所もまだ確定していません。たいていのホールは予約が1年前ですから当然と言えば当然ですね。
 1年以上の期間があれば作曲も余裕があるかというと、全然そんなことはなくて、たいていの場合は3ヶ月前くらいまであんまり手もつけずに放っておいたりします。別に怠けているわけではなくて、もっと先に仕上げなければならない仕事を先に入れてしまうためです。私は委嘱者がアマチュアだとけっこう早く作品を仕上げるほうなのですが、プロが相手だとけっこうぎりぎりになってしまうことが多いのでした。
 もちろん私より遅筆な作曲家はいくらでも居ます。本番一週間前に出来上がるなんてのは良いほうで、それも間に合わず、初演の時は必ず未完成状態になってしまうという猛者も実在します。良く言えば最後の最後まで推敲を重ねて、完璧に納得できるものを作ろうとしているためとも考えられますが、直前にならないとモティベーションが上がらず、大急ぎで書いているケースのほうが普通ではないかと想像します。

 今度のような作品も、下手をすると今年中に着手できないなんてことになりそうです。早く早くと焦っても、やはり機が熟すためにはそれなりの時期が要るようです。
 「わたしはすごく譜読みが遅いから、なるべく早くお願いします」
 と新田さんに釘を刺されましたが、それでもアマチュア合唱団よりはましだろうという頭があるので、あてにはなりません。
 ただ、新田さんは今年の秋に小さなコンサートをひとつ予定しているそうで、可能ならばその時に数曲披露したいということを言っていました。実際にそうなるかどうかはともかく、そういう目論見があるとなると、ある程度私のほうにも区切りが生じます。一旦着手すれば比較的早く進むのではないかという気もします。

 『月の娘〜五人の求婚者〜』というタイトルを仮につけました。もしかしたら変更するかも知れません。
 日本人なら、これだけで「ああ、かぐや姫だな」と察せられそうですね。
 ところで新田さんが頼んでいる舞台監督が、えらく気負い込んでいるようで、海外に持ってゆきたいみたいな構想を語っていたことがありました。これまた実現するかどうかわかったものではありませんが、一応そのために、楽器は電子キーボードをメインとする、持ち運びが可能な編成とすることに決めてあります。海外のホールの場合、必ずピアノがあるとは限らないし、ひょっとしたらホールが使えないかもしれませんから。
 さて、そうなると英題もつけておかなければなりません。『月の娘〜五人の求婚者〜』だと、日本人ならかぐや姫の話だとわかるでしょうが、外国人に『A Girl from the Moon──Five Proposers』などと言ってみせても、あんまり通じる気がしません。何かもっとわかりやすいタイトルを考える必要があるような気がします。Lady Kaguyaとかいう言葉を入れれば、少しはましでしょうか。
 まあ、その時になって考えれば良いことでしょうが。

 上に書いた通り、かぐや姫というのは原文を読む限り、何を考えているのかよくわからない女性という感じを覚えます。求婚者にさして意味もなく無理難題を押しつけるという点では、トゥーランドットに似ているようでもあります。トゥーランドットの場合、リューというサブヒロイン──というより事実上のヒロインが居て、主君への思慕の情を抑えながら主君の結婚を成就させるべく力を尽くすというけなげさを見せるので、まだ物語全体への感情移入がしやすいのですが、もしこれがトゥーランドット自身の視点で語られる物語であれば、どうにも殺伐としたものになりそうです。
 原文から読み取れるかぐや姫は、光る竹の中から翁に拾われ、半月ばかりで成人となり、その美貌を伝え聞いた男どもを歯牙にもかけず、中でもしつこい5人には難題を課してはねつけ、恩ある翁の説得にも応じず、帝の求愛も拒否したあげくにさっさと月へ帰ってしまうという、なんともガンコジコチューなヒロインです。女性から見れば胸のすくような存在かもしれませんが、このままモノローグとして心中を語らせれば、これまた殺伐とした、感情移入のできない物語になりかねません。
 ただし、時々
 「わたしはそれほどの容貌というわけでもないのに……」
 と謙遜するセリフが出てきます。この辺に、高慢なだけではない、モノローグの主としてのとっかかりがあるかもしれません。

 結局、私は原典をちょっといじって、順序などを変えることで、かぐや姫のモノローグが説得力を持つよう構成してみました。
 まず、月世界の住人という設定は表面には出さないようにしました。それから、竹の中から生まれたということも告げず、「竹林で拾われ、それ以前のことは記憶が無い」という設定にしました。しかし満月を見ると何か思い出しそうで、不安にかられている様子。
 舞台装置として可能かどうかはともかく、とりあえず台本上では、さまざまな形の月が映写されて時間経過を表すと共に、満月が重要な意味を持つようにしてあります。
 第2章として、求婚を受けて戸惑っている様子が描かれます。戸惑う理由として、自分自身でも生まれや素性がわからないのに、他人に一生を託すことへの畏れを表明させました。そして難題を出すわけですが、これは「無理なことを言えば諦めてくれるだろう」という動機によるものです。実のところそうとでも考えない限り、五人の貴公子への無理難題はどうにも心理的に合理化できません。
 それから貴公子たちのいろいろな行動が始まるわけで、この部分は舞踊によって表現されます。裏話をすれば、新田さんから「独唱と舞踊のための曲」を依頼された時、いろいろネタ探しをしていて、

 ──ダンサーに早変わりで五人の貴公子を演じ分けて貰って『竹取物語』をやるというのはどうでしょう?

 と私が提案したところから、今回の話が始まっています。
 原典では、「石つくりの御子──仏の御石の鉢」「くらもちの御子──蓬莱の玉の枝」「右大臣あべのみむらじ──火鼠の皮衣」「大納言大伴のみゆき──龍の頸の玉」「中納言いそのかみのまろたり──燕の子安貝」という順序で貴公子たちの右往左往が描かれています。私は、かぐや姫の心の動きを納得できるものにするために、くらもちの御子とあべの右大臣、いそのかみの中納言と大伴の大納言の順序をそれぞれ入れ替えました。
 石つくりの御子が最初に来るのは原典通りです。この男は早々に宝物探しをやめてしまい、そこらの古寺にあったただの鉢を持ち帰ってきただけで、行動に深みもなく、まあザコキャラというにふさわしい存在でしょう。
 次のくらもちの御子は、職人に命じて蓬莱の玉の枝を偽造させ、もっともらしい冒険談を語ることになるわけですが、作らせた玉の枝があまりにも見事で、かぐや姫も一時は敗北を認めかけたという一文が原典にあります。それならば2番目に置くよりも3番目に置いたほうがインパクトがあると判断しました。あべの右大臣は財力にものを言わせて唐の商人から皮衣を買った(でも贋物だった)わけなので、行動としてはやはり浅いと言わざるを得ず、先に置こうと考えました。
 大伴の大納言の物語は壮絶です。海に出て龍神の怒りに触れ、九死に一生を得て帰還するわけで、失敗したとはいえ非常に真摯な態度でした。確か、しばらく前に沢口靖子主演で映画になった『竹取物語』でも、彼はかなり重要な登場人物になっていたと記憶します。これはやはりラストに置きたいと思いました。
 いそのかみの中納言も、燕の子安貝を取ろうとして梯子から転落し、腰骨を折って死亡してしまいます。手につかんでいたのは子安貝ではなくて燕の糞だったというオチで、コミカルではありますが、やはり命を落としたとなると由々しきことです。それで、かぐや姫の心の動きとしては、3人目までで男というものにいささか幻滅し、もう誰とも結婚しないと言い放つのですが、そのあと中納言の死を聞いて、自分の言葉が重大な結果を招いたことを後悔しはじめるという流れにしてみました。
 それから大納言が海で行方不明になったという報せを受け、さらに落ち込んだところへ満月が姿を現し、かぐや姫はすべてを思い出します。
 原典の中に、かぐや姫が「罪を得て地上へ流された」という一句があります。月へ帰ることになったのは流刑の刑期が明けたからということらしいのですが、そこを強調すればかぐや姫の人物像にも陰翳が生まれそうです。

 ──罪を償わなければならないのに
  わたくしの言葉は 罪を重ねている──

 という文を挿入しました。この辺がまあ、今回の台本のキモと言うべき箇所です。やがて、

 ──わたくしの忌まわしい業(ごう)を どうすれば良いのでしょう?

 と絶望に見舞われたところで、大納言の真摯さに思い当たって、はじめて人を想う気持ちになる、というストーリーにしてみました。大納言の無事な帰還を心から冀(こいねが)うところでテキストは終わります。
 ただ、最後に変わり果てた姿の大納言が登場し、かぐや姫に声もかけずに立ち去るというラストシーンをつけておきました。実際原典でも、大伴の大納言はさんざんな目に遭って生還したのち、自分からかぐや姫を諦めています。かぐや姫のはじめての想いは成就されなかったという含みでこの物語は終わります。そうすると、その後に来るべき、帝の求愛の拒否という行動にも意味が生じてくる仕掛けであるわけです。

 さて、こういう台本を書いてみたのですが、通算すると、7つのアリアと5つの舞踊曲、それに器楽による序曲という、けっこう大がかりな作品になりそうです。早めに着手したほうが無難でしょうが、さていつから始めるとしましょうか……

(2011.6.29.)

5年ぶりの作曲再開

 このところ、ふたつほど書き上げなければならなかった曲があり、いささか立て込んでいました。
 自分として忸怩たることに、どちらも心づもりでは去年(2015年)中に済ませる予定だった曲でした。依頼者のほうはもう少し待ってくれるつもりがあったようなのですが、それにしても4月までずれこんでしまうと、そろそろしびれを切らしたらしく、両方とも催促を受けました。
 加えるに毎年4月といえば、6月の板橋オペラのための編曲作業に追いまくられる時期でもあります。私もさすがに危機感を覚え、しばらくは作曲に専念しなければなりませんでした。まあ、作るほうの仕事で忙しかったというだけでもありがたいと思うべきでしょう。もっとろくでもない仕事が立て込んでにっちもさっちもゆかないことだってあるのですから。

 順番として先に済ませたほうから言うと、まず『月の娘』です。
 2011年頃の項目に、『月の娘』の話は何度か書いています。しかしその後、完成したという報告はもちろん、進展したという話も書いていないので、皆様としても

 ──ははあ、これはものにならなかったな。

 とお思いだったのではないでしょうか。
 実は、もともとこの作品の初演を予定していた新田恵さんのリサイタルが流れてしまったのでした。新田さんご自身も当時少しごたごたしていたようであり、やむを得ぬことではありました。しかし『月の娘』については、

 ──いつか必ずやるので、温めておいてください。

 と言われていました。
 5曲の舞踊曲と7曲のアリア、そして器楽による小序曲という、かなり大規模な作品になるはずだったもので、初演の機会が流れてしまったのは残念でしたが、一面ちょっとホッとした気分でもありました。
 「いつか」のために、少しずつでも進めておこうとも思ったのですけれども、やはり演奏の予定の立たない作品というのはなかなか気が乗りません。仕事としての優先順位も低くなってしまいます。小序曲とアリア第1番、それに第2番の大半を書いたところで作業は止まってしまいました。
 そうこうするうちに、スタジオジブリのアニメ映画「かぐや姫の物語」が制作されました。私はこの映画を見ていないのですが、副題だったかアオリ文句だったかに「姫の犯した罪と罰」というような言葉があり、ここから推測すると、どうも『月の娘』と似たようなスタンスでかぐや姫を描いているのではないかと思われました。
 子供向きの絵本などでは触れられていないことが多いのですが、かぐや姫は天界で罪を得て地上へ流されたということになっています。最後に天に昇ってゆくのは、刑期が明けてふたたび天界へ迎え入れられることになったからだったのでした。
 なんの罪であったかは原典もつまびらかにはしていません。あるいは「傲慢」の罪ででもあったでしょうか。
 ともあれ、地上で罪を償わなければならない身であるのに、求婚者たちに無理難題を押しつけたりして、さらに罪を重ねていることに気づいて愕然とするかぐや姫……というのが『月の娘』の台本におけるキモみたいなものでした。ジブリ映画がどんなストーリーなのかは知りませんが、あの副題からすると、やはりかぐや姫の「罪」に焦点を当てた物語になっているのではないかと考えました。
 するとタイミングによっては、私がジブリ映画からネタをパクったみたいに思われるかもしれないではありませんか。それは面白くない、と考えたことで、制作を進める気分がさらに萎えました。
 去年になって新田さんが、今度こそリサイタルをやるので曲を書いてくださいと要請してきました。ただ当初の、踊りを伴った形での上演はできないので、歌のところだけの部分初演にしたいとのことでした。
 踊りをはさまずに歌い続けだと、ちょっとしんどいかもしれないと思いますが、良い機会です。書いてみることにしました。

 それで、いままで書いたところを見直そうと思いました。小序曲とアリア第1番はすでにデータ化していたのですぐに参照できました。ところが、なかば以降まで書いてあったはずの第2番の草稿が見当たりません。完成してはいなかったのでデータ化してなかったのです。草稿にしても、別に棄てるはずもありませんけれども、4年以上が経つうちに、どこかにまぎれてしまったようです。
 やむを得ません。第2番ははじめから書き直すことにしました。
 ところでこの第2番は、姫が5人の貴公子から求婚を受けて困惑する場面で、曲の最後に5つの難題が登場します。
 ここで私もはたと困惑しました。それというのも、難題について触れた箇所では、5人の貴公子による探索行──つまりここを踊りで表現する予定なわけですが──の音楽のそれぞれのモティーフをちょっとずつ引用することになりますが、その舞踊音楽はまだ一音符も書いていません。無いものを引用するという器用なことは、なかなか私には難しいものがあります。
 それに、このあと第3番から第7番までの5曲は、言ってみればそれぞれの貴公子へのリアクションに相当しますので、当然ながら舞踊部分のモティーフが顔を出すことになります。つまり、この先を進めるためには、舞踊曲のイメージができていなくてはならないわけです。
 そういえば前に書いたときも、ここで止まったんだったっけなあ、と思い出しました。
 こうなっては是非もありません。5つの舞踊曲をいま全部作曲するわけにはゆきませんが、とにかく主題だけでもひねり出さなければなりません。
 仏の御石の鉢を求められながら、探索に飽きてしまってそこらのボロ寺から割れ鉢を拾ってきた石つくりの御子の主題は、なんとなくけだるげな音楽にしました。
 火ネズミの皮衣を求められて、財産を傾けて外国の商人から買い取ったものの贋物をつかまされる右大臣あべのみむらじの主題は、何か滑稽な悲壮感みたいなものを感じられるような音楽としました。
 蓬莱の玉の枝を求められ、職人に作らせるものの、その職人が工賃の請求にやってきて赤っ恥をかいてしまうくらもちの御子には、なんだか豪華できらきらしているような主題を与えました。
 燕の子安貝を求められ、梯子に昇って探すも、転落して腰骨を折り落命するいそのかみの中納言には、右大臣と同様、滑稽さと悲惨さを共に感じられるような主題としました。
 そして龍の頸の玉を探しに行った大伴の大納言の主題は、勇壮かつ悲劇的なものとします。
 とりあえずそれぞれ数小節ずつだけスケッチし、急遽それをアリアに引用しました。
 新田さんからのオーダーは、今年の2月中くらいにということだったのですが、2月末に楽譜データを送れたのは3曲だけでした。あと3曲です。
 3月末には2曲を送り、終曲だけ残りました。ここに至って新田さんも、4月15日が最終期限と念を押してきたのでした。
 実際には10日に書き終えました。この日の昼に、まったく予想していなかったのですが、ひょんなことで新田さんと顔を合わせる機会があり、それなら終曲の譜面を直接渡せば良かったと思ったのでした。会えるとは思っていなかったので、データ打ち込みをあとまわしにしていて、まだ譜面ができていなかったのです。その日の晩にメールで送りました。
 これでひと息というところですが、ただし『月の娘』はまだ完成したわけではありません。新田さんはこれも「いつか必ず」踊りをつけて全曲初演すると言っているので、5曲の舞踊曲を書き上げなければならないのです。作品整理番号をつけるのはそのあとということになるでしょう。

 作らなければならなかった曲のもうひとつは、4台のピアノのための作品『いのちの渦紋』でしたが、これについてはまた稿をあらためることにいたします。

(2016.4.16.)

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