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4台8手、すなわち4台のピアノに奏者がひとりずつついて演奏するというどえらい編成のオリジナル曲を書くことになりました。。
「レ・サンドワ」というピアニスト集団から委嘱された作品です。洗足学園のピアノの先生たちが10人集まって作ったユニットで、いろんな組み合わせでアンサンブルを主とした曲を演奏しています。
私が彼らの演奏会を聴きに行ったときは、2台しかピアノがありませんでしたが、4台使うこともあるそうで、実際2016年5月21日(土)に浜離宮朝日ホールで開催予定の演奏会では4台ピアノを使用することになっています。そのとき初演するために委嘱されたのでした。これまでにも何度か委嘱作品をやったことがあるそうです。
4台のピアノなんて、いったいどんなことになるのか見当がつきません。
ロスアンジェルスオリンピックの開会式で、26台のピアノで『ラプソディ・イン・ブルー』を演奏したなんてことはありましたが、そんなのはお遊びであって、2台ピアノとかピアノとオーケストラといった形で演奏するよりも感動が深まったなどということはありません。
ピアノは2台あればたいていの交響曲も演奏できてしまうものです。私が長々とつきあったマーラーの『嘆きの歌』も、大編成オケを2台ピアノでやってしまう試みでした。音色の多彩さという点ではオーケストラには太刀打ちできませんが、響きの拡がりや深みに関してはそうそう劣るものでもありません。そして何より大事なことは、3台か4台のピアノ用に編曲したとしたらもっと良くなるかというと、別にそんなこともなさそうだという点です。
去年の秋の100回記念ライブリーコンサートで、2台ピアノの曲をいろいろ聴きましたけれども、ラヴェルやラフマニノフの2台用作品を聴いてしまうと、もうおなかいっぱいというか、 ──これ以上音を増やして、なんの意味があるんだ? とむなしい気分に襲われたりしました。音の厚みに関しては本当に2台で充分であって、それが3台4台と増えたところで厚くなったり深くなったりはしないのではないかという気がしてなりません。
そんなこんなでなかば方向性を見失って、なかなか着手できませんでした。
演奏時間は7分くらいと言われています。この時間では、例えば交響曲的な手の込んだものはできないでしょう。
発想の転換が必要であると感じました。音の厚みなどを2台ピアノの延長線上で考えてもあまりらちはあきません。逆に、2台ピアノで「できないこと」とはなんだろうか、と考えてみました。
3種類以上の、別々の「呼吸」を要するものならば、たぶん奏者ふたりでは困難です。4声のフーガなど弾いていると、4種類の呼吸を使い分けなければならないかと思われてきますが、実際にはそんなに厄介ではありません。独奏用のフーガは、ちゃんとブレスが連動するように作られています。少なくともバッハのように緻密に作られたフーガならそうなっているはずです。
音を増やす必要はないけれども、息づかいの多彩さといったことを考えてゆけば、4台のピアノの曲が書けそうな気がしてきました。
息・呼吸というと生命活動の一環であり、私のライフワーク(?)でもある「生命への讃歌」というコンセプトにもぴったりしそうです。
そんなところで、昨年末に『いのちの渦紋』というタイトルだけ決めて伝えておきました。ただし曲想はなかなか思いつかず、他の作業を先にやらなければならなかったこともあって、ようやく3月末になって着手しました。
そんなに長い曲ではないので、一旦着手すればさほど期間を要せずに書けると思います。ただしピアノ4台分の音符というのはやはり多いので、「想い」に手許がついてゆかないのではないかという懸念はありますが。
なんにしろ、そろそろ今年の板橋オペラ「ドン・ジョヴァンニ」の編曲にもかからなければならないし、さっさと済ませてしまわなければなりません。
それに演奏会までもう1ヶ月半くらいしかありません。想像するに、いままでの委嘱作品もわりとぎりぎりに出来上がってきたのではないかという気がするのですが、それに甘えるわけにはゆきません。練習期間は多いほうが良い初演になるに決まっています。
私は一体に、アマチュアからの委嘱はきわめて早い時期に仕上げるのですが、プロ演奏家からの委嘱は遅れてしまうことが多く、この習癖はなんとかせねばならないと思っています。
(2016.4.2.)
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