初稿版の編曲 マーラーの『嘆きの歌』を2台ピアノ用に編曲中であることを書いたのは2011の2月頃であり、初合わせの記事をその12月に書き、初演した話は2012年8月に書きましたが、実はまだ話が終わっていません。昨日ようやく、第一部の編曲が終わりました。これまでの記事を読んでくださったかたには、「ははあなるほど」と思って頂けそうですが、いきなりここを読んだかたはわけがわかりませんね。かいつまんでもう一度ご説明いたします。 去年編曲し、今年の8月に初演を終えたのは、1899年改訂版と呼ばれるものです。これはマーラーが40歳近くなって作成し、実際に自分が指揮をしていたオーケストラで初演をおこなった形で、編成はソプラノ・アルト・テノールの独唱3人、混声合唱、3管オーケストラというものでした。全体は特にタイトルをつけない2つの部分から成っており、演奏時間は約40分です。 ところがここに、1880年初稿版なるものが存在します。 マーラーが20歳の時に作曲し、ベートーヴェン賞というコンクールに出して玉砕したシロモノです。編成は11人の独唱者と混声合唱、3管オーケストラであり、全体は「森のメルヘン」「吟遊詩人」「婚礼の場面」と名付けられた3つの部分から成っています。演奏時間は約70分です。 つまり、マーラーは20歳の時に作曲して結局陽の目を見なかったこの大カンタータを、19年後に大幅に改作して音にしたわけです。そして、音にしたのはこの時一度きりでした。若い頃の鬱念のようなものを、いちど音にすることで解消しておきたかったのかもしれません。 改作した部分を整理すると、次のようになります。 ★3部分だったものを2部分にした。つまり、30分くらいを要する第一部「森のメルヘン」をまるごとカットし、「吟遊詩人」「婚礼の場面」だけを活かして、なおかつタイトルを削除した。 ★声楽編成を減量し、独唱者を大幅に減らした。この結果、テキストに対するスタンスが変わって、オペラのような「配役」だったものが「朗読」に近いものになった。 あと細かいオーケストレーションの直しなどもありますが、これは専門家以外にはさほど意味が無いのでここには記しません。 マーラーは若い頃に書いたものをつらつら眺めて、やはり冗長であるし編成が重すぎると感じたのでしょう。この時期、すでに彼は交響曲を3つ仕上げ、第4番の作曲に取り掛かっています。もはや落選して悲嘆に暮れるペーペーの若造ではなく、指揮者としても作曲家としても脂の乗った頃です。その眼で見ると、このまま舞台に乗せるわけにはゆかないと思ったのではないでしょうか。 それで思い切ってスリムアップした改訂版を作成したわけです。 マーラーがこれを決定稿としている以上、それ以上とやかく言うべきものではありません。 ところが、マーラーの死後しばらく経って、初稿版が発見されました。義理の甥の手許にあったものが世に出たのだそうです。 これとても、研究者以外にはそれほど意味のない発見であったはずなのですが、マーラーには熱狂的なファンが多く、試験的におこなわれたこの初稿版の演奏も、妙にもてはやされるようになってしまいました。 そして今や、改訂版を用いる場合でも、初稿版から「森のメルヘン」だけ持ってきてくっつけるというようなやりかたが珍しくなくなっています。 作曲家としては、それってどうなの、と言いたくなります。 「森のメルヘン」は、成熟した作曲家である39歳のマーラーの眼から見て不合格であったからこそ削除されたのであるはずです。 ──ああ、こんなんじゃベートーヴェン賞に落ちたのも無理はなかったかもしれないな。 と納得したかどうか、そこまではわかりませんが、とにかく「森のメルヘン」を含む全曲を演奏する価値を認めなかったのは確かです。そして、ただ一度しか演奏しなかったというのも、そう何度も再演するには及ばないと思ったからでしょう。 が、マーラーファンとしては、そうは考えたくないのかもしれません。 ベートーヴェン賞に落ちたのは、20歳のマーラーの作品が冗長だったり未熟だったりしたせいではなく、あまりに斬新であったためブラームスその他の保守的な審査員に理解されなかったのだ……そう考えたほうが気分が良いに違いありません。 最終稿で「森のメルヘン」をまるまるカットしたのは、後年の厳しい眼で見て不合格となったからではなく、演奏時間や演奏者の問題でやむなく涙を呑んで削除したのだ……これもこう考えたほうがなんとなく救いを感じるのでしょう。ファンにとっては、マーラーが(いくら若い頃であっても)駄作を書くなどとは信じたくないに決まっています。 私はマーラーファンというわけではありませんが、チンピラ作曲家とはいえ一応同業者であり、かなり長いこと『嘆きの歌』のスコアとにらめっこを続けた立場から言わせて貰えば、上記のようなファン解釈は、いささかひいきの引き倒しの気配があります。 また仮にファン解釈が正しかったとしても、マーラー自身が決定稿としたものに余計なものをくっつけて良い理由にはなりません。 ──「森のメルヘン」は仕方なく削除されたものだ。だからそれを補ってやるのがマーラーの真意をより活かす方法なのだ。 などと考えるのだとしたら、それは少々傲慢というものではないかと思います。 私はそう思っているのですが、趨勢としては「森のメルヘン」を含めた演奏のほうが主流となりつつあるようです。ひとつには、それを含めた70分の演奏であれば、前座をほとんど用意しなくて済むという興業上のメリットもありそうです。 「森のメルヘン」はそういうこととして、続く「吟遊詩人」と「婚礼の場面」をどうするかについては、改訂版をつなげるか、こちらも初稿版を用いるかのふたつの立場があります。若書きの初稿版で全曲やられては、泉下のマーラーも化けて出たくなりそうですが、これはこれでそれなりに人気のある演奏方法であるようです。改訂版をつなげると、オーケストラの楽器や独唱者などで、第二部以降で用が無くなってしまうものがいくつも出て来て、もったいないというかバランスが悪いという事情もあります。 ともあれ、『嘆きの歌』はいまだに「どう演奏すべきか」がはっきりとは決まっていない作品なのでした。 マーラーの声楽作品全曲演奏というシリーズをやってきたハートフェルトコンサートで、最後を飾る『嘆きの歌』だけ2回公演ということになったのも、そのせいでした。 というよりも、指揮者の海老原光さんが非常にこだわりを持っていたのでした。企画側は、改訂版でも初稿版でも良いからどちらかに決めて1回で済ませたかったらしいのですが、マエストロがぜひ両方のヴァージョンでやってみたいと希望したそうです。 それで、今年の8月に、まず改訂版の形で2台ピアノ用編曲版を発表したのでした。 そして、来年の6月には、初稿版の形でやはり2台ピアノ用編曲版を初演します。 とっくに初演を済ませたはずなのに、昨日ようやく第一部の編曲が仕上がったという、なんだか因果関係が逆転しているみたいに見える状況は、そういう事情によるのでした。 編曲にあたって、私はまず改訂版のフルスコアを精査し、その後初稿版をつぶさに眺めたわけですが、やはり「森のメルヘン」には「練りの足りなさ」を感じました。ブラームスを保守反動の悪役に仕立てて済む問題とは思えません。 大胆な転調とか、ほとんど複調と呼べるほどの音の重ねかたは、確かに後年のマーラーの交響曲の先駆を為していると言っても良いかもしれません。しかし、それがいかにも唐突で、あんまり深い考え無しに重ねたに過ぎないのではないかという印象をたびたび受けました。 そして、その大胆な転調が先にあってその上に旋律を乗せているために、歌がしばしば無茶な動きをしています。いかにも歌いづらそうです。マーラーは歌曲でも有名ですが、20歳といえばすでに最初の歌曲集を完成させているにもかかわらず、『嘆きの歌』ではすこぶる非声楽的なところが目立ちます。 オーケストレーションもやはりだいぶ粗く、例えば少し専門的な話になりますが、倚音(いおん)という一種の非和声音を、その解決すべき和声音と同時に鳴らすという少々無神経なことを平気でやっています。これは私にも憶えのあることで、若い頃はわりと無造作にやってしまっていました。音色が違うから大丈夫だろう、などと考えるのですが、たいていの場合はやっぱりあんまり大丈夫ではありません。ましてや今回はピアノの音色しかありませんから、そのまま引き写すと響きの悪さがバレバレになってしまいます。 それから作曲上の問題としては、いくつかのモティーフが執拗に登場するのは一向に構わないにしろ、その登場の仕方がなんともワンパターンです。これも専門的な言いかたをするならば、モティーフの展開が不充分であるということになります。そして、不充分な展開のまま30分も続けた日には、退屈するに決まっています。 もちろん良い点もたくさんあるのですが、あえて審査員的な眼で欠点をあげつらってみました。私が言いたいのは、こういう欠点にブラームスが気づかなかったはずはないという点です。特に最後のモティーフ展開の弱さに関しては、ブラームス自身がモティーフ展開に非常な努力を払った作曲家であるだけに、許し難い気がしたろうということも予想がつきます。 ついでに言うならば、マーラーはこのあと、ブラームスとは違うタイプのモティーフ展開方法を編み出します。ブラームスはあくまで古典的な、ソナタ形式とか変奏曲という範疇での展開を重んじましたが、マーラーはヴァーグナーの影響を受けた結果、モティーフをオペラの登場人物のように用いる手法をとりました。いわゆるライトモティーフの考えかたを交響曲に応用したわけです。そのため、マーラーの交響曲をソナタ形式などの概念で分析することはきわめて困難になっています。 しかし、『嘆きの歌』初稿版でのマーラーは、まだその境地には達していません。あまり料理されないままの素材が繰り返し登場するばかりです。 ブラームスは普通に思われているほどガチガチの保守反動的な人物だったわけではなく、けっこう茶目っ気もありましたし、芸術上の敵と思われていたヴァーグナーからもわりといろいろ学び取っています。晩年の作品には明らかにヴァーグナー的と思える和声の使い方が見られます。ブラームスを旗頭として担いでいた評論家のハンスリックがガチガチだったので、ブラームス自身も救いがたい古典至上主義者みたいに思われがちですが、決して前衛や新傾向を理解できなかった人ではありません。彼がマーラー青年の作品を落選させたのは、その斬新さを理解しなかったからではないように私には思えるのですが、どんなものでしょうか。 ともあれこの長大な第一部を、なんとか2台ピアノで弾けるようにアレンジし終えました。弾いて面白いかどうかはわかりません。 第二部・第三部も、初稿版に基づいてリアレンジする必要があるのですが、声楽部分はだいぶ違うにせよ、オーケストラをピアノに移すにあたっては、改訂版のほうとそれほど大きく差をつけなくても良さそうな気がします。まずひと山越えたというところです。 (2012.11.30.) |
初稿版の編曲終わる マーラー『嘆きの歌』初稿版の編曲作業がようやく終わりました。前に、第1部の編曲が済んだことを書きましたが、残りの第2部と第3部は、夏に演奏した改訂版の元になったものであり、大雑把に言って大差はないので、もう少し後でも良いだろうとたかをくくっていました。しかしプロデューサーから、演奏者にせっつかれていると泣きつかれ、今月中ということで確約してしまったのでした。着手する前は、わりと甘く見ていたように思います。20歳くらいの時に書いた初稿版と、40近くなって書き直した改訂版とでは、歌の扱いがだいぶ変わっているということは予備知識としてあったので、声楽部分に関しては大きく直さなければならないだろうとは考えていました。しかし、オーケストラの部分に関しては、オーケストレイションは変わっているだろうけれども、2台ピアノ用に編曲した場合、そういう変化はさほど目立たないと思われ、実際にはほとんど書き直す必要はないのではないかと期待していたのでした。 ところが、実際に作業にとりかかってみると、けっこう地味に違うところがあり、ピアノ編曲とはいえそのままにはしておけない箇所が次から次へと出てきました。たとえばある音を8分音符で書くか、4分音符にスタカートをつけて書くかというようなことなのですが、実際に演奏したものを聴いた場合、それほどの差は無さそうです。しかし、ピアニストの受ける印象は明らかに違っており、極端なことを言えば弾きかたを変えなければならなかったりしますので、やはり8分音符のままにしておくのは、ちょっと職業的良心がとがめるところがあるのでした。 同じような形ながらリズムが異なっているところもありましたし、音符の長さが倍に引き延ばされている──と言うより、時系列を考えると、半分に縮められていると考えるべきでしょうが──箇所もありました。音符は倍ですが、テンポも倍の設定であるため、実際に聴いた時にはこれまた同じように聞こえます。しかし小節数などが異なってくるので、これもしっかり書き直さなくてはなりません。 もちろん最初から覚悟していた声楽パートの書き直しもあります。メロディーは同じでも歌詞が違っていたり、歌う人が違っているということもありました。初稿版では子供ふたりを含む8〜11人のソリストが必要なところを、改訂版では3人に絞ってありますから、歌う人が違うというのは当然起こりうることでした。なお、「8〜11人」とあいまいな書きかたをしたのは、元のスコアを見ると、例えば「アルトソロ」とだけ書いてあるパートと、「アルトソロ1」「アルトソロ2」と書いてあるパートがあり、無印ソロが番号付きソロを兼ねれば8人、兼ねなければ11人ということです。 そんなこんなで、まったく手を加えなくて良い部分というのはむしろ少なかったようです。結局、予想より遅れて、2週間ばかりかかってしまいました。 それにしても、作業期間は飛び飛びとはいえ、2年以上『嘆きの歌』とつきあってきたことになります。この日誌で最初に『嘆きの歌』の編曲作業について書いたのは2011年の2月のことで、その時すでに着手してしばらく経っていた感じですから、丸2年は過ぎているでしょう。確か、その年の6月頃に改訂版の編曲が終了し、一旦解放されました。初稿版を別に作るという話は、それまでに出ていたのだったか、改訂版を作り終えたあとのことだったか……ともあれ演奏形態のことでプロデューサーと指揮者のあいだにひと悶着あったのち、とりあえず改訂版を先に演奏してしまうことになったわけです。初合わせがあったのは11年の年末でした。 そして去年の8月末に改訂版の演奏があり、このたび初稿版の編曲が終了したのです。ちなみに初稿版の演奏は6月末の予定です。 初稿版のスコアと改訂版のスコアをじっくり見較べるという機会を(否応なしに)得たわけですが、やはり改訂版のほうがはるかに洗練され、完成度の高いオーケストレイションになっていることを感じずにはいられませんでした。 上にも書いた、8分音符と、スタカート付きの4分音符の違いというのは、大したことはないように思えるかもしれませんが、スタカートというのは単に「音を切って」ということに過ぎず、切りかたを明示しているものではありません。これを8分音符に改めた場合、音の長さのことだけではなく、そのあとに置かれる8分休符が実は大きな意味を持ちます。40歳近くなったマーラーは、その意味をきちんと認識しており、若い頃の、言ってみれば粗雑な書き方を改めているのでした。実はこの点、私自身が経験を積むに従って実感したところでもありますので、この偉大な先人の「成長」を見て、すっかり嬉しくなってしまいました。 私は改訂版のほうを先に熟読したために、あとで初稿版のスコアを見た時に、余計にその未熟さを体感してしまったかもしれません。どう考えても雑なのです。あまり必然性の無いところでいろんな楽器を鳴らし過ぎている一方で、本当に欲しいフレーズが意外と薄い響きにしかなっていなかったりします。 声楽の扱いも同様でした。初稿版が8〜12人のソリストを要したと言っても、3人に絞られた改訂版に較べて、特に密度が濃いわけでもありません。ありていに言えば、3人で充分なことを8〜12人にやらせているわけですから、ソリストひとりひとりの役割はきわめて薄くなっています。なんだか、このために多人数のソリストを揃えてギャラを払うのがあほらしくなるような状態です。たぶん6月の演奏でも、半分くらいは合唱団(合唱団といえどもプロの歌い手です)からソリストを出すことになると思われます。 そのくせボーイソプラノやボーイアルトには、だいぶ酷なことをさせていますし、合唱パートの音域なども首をかしげたくなる箇所が多々ありました。 私は日誌でも何度か書いてきましたが、この初稿版がベートーヴェン賞に落選したのが、 ──作品が前衛的すぎて、ブラームスなどの保守的な審査員に理解されなかった。 という理由であるとは、いよいよ思えなくなってきています。単純に出来が悪かったからと考えたほうが妥当ではないかと思えます。 いや、20歳の若者の書いたものとしては、もちろん頑張っていると言えますけれども、難点を挙げようとすればいくらでも見つかることも事実であり、このスコアを見てこの作曲者が天才であると判断するのは、相当な想像力の飛躍が必要でしょう。 これも何度も書いていることですが、オーケストレイションというのは一種の職人技であって、いかな天才作曲家であろうとも、場数を踏まなければそうそう身につくものではありません。ショパンのピアノ協奏曲などにおけるオーケストラの使いかたの稚拙さはよく指摘されますが、これもせいぜい20歳前後の作品であったことを考えれば無理もないものがあります。ベートーヴェンですら、初期のオーケストラ作品にはさほど天才のきらめきのようなものは感じられず、注目に価するのは中期にあたる交響曲第3番あたりからだと思えば、オーケストレイションという技術がどういう性質のものであるか、よくわかることでしょう。 後年の交響曲では魔術的なほどのオーケストレイション能力を見せたマーラーですが、それは指揮者としてオーケストラの実地を知り尽くしたからこそ培われた才能でした。20歳のマーラーには、まだそんな経験の裏打ちはありません。ブラームスなどから見ると、ずいぶんとアラが目立ったに違いありません。 不出来だったなどと言うとマーラーファンが承知しないかもしれませんので、言いかたを変えると、たぶんそのコンクールの時は、『嘆きの歌』よりもっと良い(良く見える)出品作があったのでしょう。それは後世に残らなかったかもしれませんが、『嘆きの歌』とて作曲者が20年近くあとに大改訂して世に出したから残ったまでのことで、そうでなければとっくに散逸していた可能性が高いのではないでしょうか。 「あの時落選していなかったら、ぼくの人生は違ったものになっていただろう」 マーラーは後年そんなことを語ったと言われます。だいぶ根に持っている感じですが、確かにあれだけの大作をボツにされては、凹んでも無理はありません。ただ、この言葉は単なる恨み言ではないような気もします。 ベートーヴェン賞を受賞していれば、彼には作曲家として洋々たる道がひらけたことでしょう。若くして専門の作曲家として活躍することになったはずで、そうなると指揮者兼任などということはしなかったかもしれません。指揮者として経験を積まなければ、おそらくあの、「巨人」「復活」から「千人の交響曲」「大地の歌」に至る堂々たる交響曲群も、ずいぶん違った形になっていたはずです。と言うより、それらの輝かしい成果はついに得られなかったかもしれません。そう考えれば、「あの時落選したのが、結果的には良かった」というポジティブな意味合いに受け取っても構わないのではありますまいか。 指揮者として活躍しつつ、交響曲を次々に発表しながら、若き日の痛恨事とも言うべき『嘆きの歌』のことが、マーラーにはずっと、のどに刺さった魚の小骨のように気にかかっていたのでしょう。折りを見てはちょくちょくいじっていましたが、1899年に至って、ついに第1部をばっさり切り落とし、ソリストも厳選し、オーケストレイションを全面的に改めた形で徹底的に書き直し、自分の率いるオーケストラで演奏しました。 マーラーはそれっきり、この作品を二度と演奏することがありませんでした。いちど音にできたことで気が済んだというか、ルサンチマンを解消したような気分だったのかもしれません。 (2013.1.28.) |
初稿版2台ピアノ用初演 2013年6月21日、マーラー『嘆きの歌』初稿による2台ピアノ版の初演がありました。 (2013.6.22.) |