やっと『セーラ~A Little Princess』の第1幕がほぼ書き上がりました。 当初の予定では、この時期には第1幕どころか、全曲が仕上がっていなければならなかったのです。そもそも、先日の『トゥーランドット』の本番までには、完成はしないまでも、だいたいのメドは立っている状態になっているはずだったのでした。そして、7月も下旬を迎えようとするいまごろはもう、次の仕事である、立正佼成会から頼まれたお琴の曲の作曲にとりかかっていなければなりませんでした。 相当にヤバい状況です。 『セーラ』の練習の開始などはまだしばらく先の話ですので、公演スケジュールの上でヤバい、というわけではありません。私自身の仕事スケジュールがタイトになるということです。お琴の曲のあとには、やはり今年中の完成を約束してしまった、平塚市合唱協会からの委嘱作『星空のレジェンド』も控えています。 公演スケジュールにおいても、ひとつだけ急がなければならない理由があります。 今回、主役級のふたり(セーラとベッキー)の役を、オーディションで選ぶことになりました。オーディションをおこなうためには、課題が必要です。課題は当然ながら、当該オペラの一部を歌って貰うということになります。オペラはもちろんまだ市販されているはずもなく、受検者に譜面を与えなければなりません。譜面を与えるためには、譜面ができていなければならないというわけです。
オーディションの要項はまだばらまいてはいませんが、近日中にあちこちに置く予定です。普通は要項を見ても、受検を決断するまでにはそこそこの時間が必要と思われますが、気の早い人がすぐに申込書を提出してきた場合、折り返し課題の譜面を送付するということになっているので、この点でも作曲を急ぐ必要があるのです。
1幕1場は、4月上旬に仕上がっていますから、続く1幕2場に手間取ってしまったことになります。3ヶ月半くらいかかった計算になります。
もちろん、3ヶ月半のあいだ私が苦吟していたというわけではありません。他の急ぎの仕事が続けざまに入ってきたので、そちらを優先せざるを得なかったのです。
具体的に言うと、まず何よりも『トゥーランドット』のオーケストレイションです。これには4月いっぱいと、5月のはじめまでかかりました。あとでパート譜を追加しなければならなかったりして、実際にはもっとかかったことになります。
それから、中村八大や中田喜直の無伴奏混声合唱用編曲を初演してくれたザ・タロー・シンガーズからの依頼で、今度はいずみたくの曲集を作るという仕事がありました。この話、実は7年前に中村八大をやりはじめた当初から出ていて、具体化しないままになっていたのですが、今年のはじめにタローの演奏会を西宮まで聴きに行った際、もういちど里井宏次先生から打診を受けたのでした。とはいえそれも正式な依頼というわけではないような気がしていたのですが、しばらくして、
──6月に本番があって、それが終わり次第練習にかかるから、譜面を下さい。
という連絡があり、俄然急がなければならなくなった次第です。
中村八大の時に、なぜか「見上げてごらん夜の星を」も渡してあって、演奏もされています。その時は確か「中村八大」というくくりではなくて、日本のポップスのステージということであったと記憶しています。「見上げてごらん」をまず1曲めとし、あと6曲ほどを急いでアレンジしました。
いずみたくは言うまでもなく日本のポップスシーンでは最重要な作曲家のひとりですが、「見上げてごらん」以外の候補曲となると、意外と、これはというものが思いつかず手間取ってしまいました。「手のひらを太陽に」は有名ですし、実際選曲に加えはしましたが、何しろ童謡です。全体の中心に据えるには力不足でしょう。「女ひとり」「夜明けのスキャット」……と選んだところで、アップテンポの曲が少ないことに気づき、「太陽のくれた季節」を加え、あと「いい湯だな」「世界は二人のために」を入れておきました。
タロー委嘱となると、何しろプロ合唱団ですので、シンプルアレンジではなく、かなり凝ったアレンジになります。編曲作業としては面白いのですが、時間はかかります。去年「手のひらを太陽に」を、混声三部合唱とピアノのために、シンプルきわまる編曲をおこなったことがあり、これはほんの数時間で書き上げてしまったものですが、タロー用だとどうしても、どの曲も2、3日は要しました。つまり、正味で2週間くらいは費やしてしまったということになります。
それから『みんなのうた・世界めぐり』の編曲がありました。これはすでにある混声合唱から、あらたに女声合唱へのリアレンジでしたので、ピアノパートはそのまま使えましたし、合唱パートもコピペを最大限活用しました。そのおかげで、手間としてはさほどかかりませんでしたが、そうは言っても5曲もありましたので、トータルではそれなりに時間も必要でした。
まだ終わりではありません。「印度の虎狩り」が待っていました。これは小品とはいえ作曲でしたから、編曲作業とは違った頭の使いかたになります。編曲は、言ってみれば片手間にでもできますが、作曲となると、やはり一定時間それに集中しなければなりませんし、発想がまとまるのを待つ時間も必要です。
「印度の虎狩り」を書き上げたのは6月2日の夜でしたが、いずみたく作品集などは飛び飛びにそのあともやっていました。6月の中旬になると、『トゥーランドット』の稽古なども煮詰まってきて、私もホールに詰めていなければならなかったりして、他の仕事はなかなかできなくなっていました。
こんな有様では、『トゥーランドット』本番までに全曲のメドをつけるなどということができるわけもないのでした。結局、6月21日の本番までに書けていたのは、間奏曲の半分ほどと、1幕2場のほんのはじめのあたりまでだったと思います。
実を言うと、間奏曲などを書かなければならなかったのが、なかなかはかどらなかった原因でもあります。純器楽曲である間奏曲などはあとまわしにすれば良かったとも思うのですけれども、楽譜を作成する上ではそうもゆきません。
1幕1場と2場のあいだに、どうしても舞台転換が必要になるので、そのあいだの時間を埋めるために間奏曲を置かざるを得なかったのでした。幕間であれば休憩にできるのですけれども、先は長いので、ここで幕を閉じるわけにもゆかないのです。まあ4分くらいあれば転換もできるだろうと思い、そのくらいの長さの器楽曲を書いたのでした。音楽劇団熊谷組の台本で、いとも簡単に「バレエ」と3文字書かれているだけなのに、作曲するほうはそれなりの小品を書かなければならなかったことを思い出しました。
それがまた、『カヴァレリア・ルスティカーナ』の間奏曲くらい印象的な曲にしてやろうとか、オペラの他の部分ではなかなか使えないポリフォニックな処理をしてやろうとか、余計な雑念を湧かしたので、いたずらに時間がかかってしまいました。それらの雑念が成就したかどうかはともかく、かなり濃密な間奏曲になったのは確かです。ただしいまはピアノ譜上でスケッチしただけに過ぎず、これをオーケストレイションする時に、イメージした濃密さが出せるかどうかが問題となるでしょう。ともあれ、なるべく「ピアノという楽器での発想」を避けようと努めました。
そのあとの、歌詞のついた部分も、並行して作曲していましたが、これがなかなか苦心しました。1幕2場の冒頭は、セーラがアーメンガードやロッティを相手に、自分のこさえたおとぎ話を話して聞かせているところから始まります。つまり台本自体が物語詩みたいなことになっているわけです。ちなみにその物語詩というのは、原作でセーラが話していたのを詞の形に整えただけで、私が創作したわけではありません。
どんな曲想にするか、かなり悩みました。ややラグタイムっぽい雰囲気でしばらく書いてみたものの、どうも19世紀末という作品舞台にそぐわないような気がして破棄してしまったり、舞台は19世紀末でも別にもっとモダンな曲想を使ってもいいような気がしたり、ああでもないこうでもないと考えているうちに時間ばかりが経ちました。
いままで、オペラ公演のオーケストラ合わせの休憩時間などに曲を書いていたなどということがよくあったので、今年も『トゥーランドット』のオケリハの時には必ず『セーラ』の台本と五線紙を持って行っていたのですけれども、今年はほとんどらちがあきませんでした。オケの人数が多かったせいもありますが、昼食時間などでもみんな居なくなるということがなく、特に弦の人たちなどは居残って音出しなどをすることが多くて、落ち着いて作曲にかかるということができなかったのです。
また、オケリハのあと声楽の稽古がはじまるまで、たいてい1時間ばかり待ち時間があり、両方に関わっていた私はその待ち時間を有効活用しようと考えたのでしたが、これもうまくゆきませんでした。今年の練習ピアニストが妙に仕事熱心で、稽古の始まる30分以上前から稽古場に来て、練習を始めたりしたのです。彼女がやって来れば、ピアノは明け渡さざるを得ませんし、音が出始めるとさすがに作曲はできません。一度などは、音の届かない準備室にひっこんで書いていたりもしましたが、ともかくわずかな量しか進めることができませんでした。
2場冒頭の物語詩の部分は、物語詩すなわち「バラード」の古式に則り(?)、6拍子で処理することにしました。そこからもだいぶ難渋しましたが、いまいましいおとぎ話がようやく終わり、立ち聞きしていたベッキーをラヴィニアたちが見とがめるあたりからは、すらすら進むようになりました。私はやはり「会話」のやりとりを音にするほうが性に合っているのかもしれません。
そんなこんなで、やっと2場の最後まで来た次第です。
まだ「場」としては4つありますし、「幕」としてもふたつあります。ただ、分量としてはおそらく3分の1しかできていないということはなかろうと思います。3幕2場は事実上のエピローグでごく短いものですし、2幕はそれなりに長さがあるものの、1幕で出てきたいろんな音楽的素材を活用することができるため、すべてをゼロから作らなければならなかった1幕よりは手間取らないはずです。まあ半分というところでしょうか。
とにかく、これから進められるだけ進め、8月に入ったらお琴の曲と並行するようにしなければならないかもしれません。秋になる前にはなんとか形にしたいものです。
配役もだいぶ決まってきました。まだ本人に正式なオファーをしていない役もありますが、オーディションで決めるセーラとベッキー以外は、ほぼイメージができてきたと言えるでしょう。こうなると作るほうも張り合いが出てきます。
懸案だった演出家も決まりました。最初、私が演出もやったらどうだという話もあったのですが、台本を書き、作曲もした上に、演出までやったのでは、オペラのカラーが私の色に染まりすぎだと思います。このオペラは、私の作品には違いありませんが、板橋区演奏家協会の創り上げるオペラであるという気分を捨てたくありません。
それに一箇所、どうやって見せれば良いのか私には見当もつかないシーンがあります。小猿がセーラの屋根裏部屋に飛び込んでくるくだりで、ここはラムダスとの出会いにからみますので欠かすことができません。しかし、本物の猿を使うわけにもゆきませんし、人形などを動かすにしてもその方法がわかりません。ここばかりは、自分で書いておきながら、演出家のアイディアに任せるしかないなあと思っていました。
その他は、そんなに奇抜な演出は要りません。ごくオーソドックスに作ってくれれば良いと思っています。私はある有名作曲家のオペラに何度も関わっていますが、話題作りのためか、演出家も毎回かなりの大物を呼んできています。ところが大物だけに、ありきたりな演出では満足しないらしく、かなり奇矯なことをおこなっています。初演の時からそんな奇矯な演出をやらかすと、見ているほうにはわけがわからないのでした。初演はごくオーソドックスな演出が好ましく、それがスタンダードとなるべきであって、それに対して意欲的な演出家が奇抜なことを再演時に試みる、というのが望ましい形であるように私には思えます。
ともかく、曲以外でもいろいろなことが動き始めて、なんとなく具体化し始めています。嬉しくもあり、焦ってもおり、というのが現在の心境です。
(2014.7.19.)
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