忘れ得ぬことどもII

オーディション

 『セーラ──A Little Princess』主役オーディションをやってきました。
 板橋区演奏家協会のオペラ公演の主役は、いままでは協会員の中で身内のオーディションをして決めていたのですが、今回はじめて、外部にも募集をかけたのでした。新作であるため話題づくりをする必要もあったのです。いろんな場所に要項を置き、「ぶらあぼ」のような雑誌にも載せました。
 はたしてどのくらい応募があるものなのか、何しろはじめてのことなのでまったく見当がつきませんでした。なんと言っても、オペラの演目も上演団体も、いわゆるビッグネームではありません。まだ曲が完成してもいないようなオペラのオーディションに挑戦する歌い手がどのくらい居るものだろうかと思いました。
 しかし一方、役を求めている人というのはけっこう居るような気もします。私は渋谷BUNKAMURAシアターコクーンのこけら落とし公演のオーディションで、受検者の歌の伴奏をしたことがあるのですが、ものすごい人数が押し寄せました。
 その時のがどういう公演だったのだかよく知らないのですが、オーディションは「歌1曲と一芸」というもので、たぶんミュージカル仕立ての芝居だったのでしょう。少なくとも「歌い手の募集」ではありませんでした。
 歌は本当にピンキリで、本格的な訓練を受けたように思われる人も居れば、まるっきりドシロウト同然の人も居ました。私が貰った楽譜も千差万別で、ひどい時には手書きのメロディー譜だけで、コードネームはついているのですが、そういうのに限って
 「キーが合わないんで、ちょっと移調してください」
 なんて気楽に言ってくれやがったりしたもので、かなり疲れました。
 一芸のほうの審査も見学させて貰ったのですが、これまたいろいろで、詩を朗読する人あり、パントマイムをする人あり、南京玉すだれを口上つきで演ずる人ありと、バラエティに富んでいました。中にはひどく必死で自己アピールをする人も居り、なんだか気の毒になったほどでした。
 これは普通の役者のオーディションで、歌い手の話ではなかったとはいえ、世の中には役を欲しがっている人がたくさん居るらしいということを実感できた経験でした。
 結局、外部からは7人の応募者がありました。要項を撒いた範囲や枚数、雑誌での注目度などを考えてみれば、まあ妥当な線であったかもしれません。

 オペラの主役オーディションですから、そのオペラで主役が歌う歌を課題とするべきでしょう。課題を1曲と、既成のオペラから自由曲を1曲にしたらどうかという案もありましたが、結局『セーラ』の中から課題を2部分選びました。なお自由曲を設定するのは、その人の得意な役柄やジャンルは何かということを知る点では役立ちますので、無駄なことではありませんが、まあ当該作品からの出題のほうがやはり良いでしょう。
 課題を選定した際は、まだ2幕1場の半分以下のところで苦吟していた頃で、その部分までで2つ選ぶのはなかなか迷いました。
 セーラ役の課題は、盗み聞きをとがめられたベッキーをかばって即席のストーリーを語るところと、父が破産・病死して一文無しの孤児になってしまった境遇を嘆くところにしました。一方は明るく楽しげな歌、もう一方は陰惨な感じの歌なので、まあ表現の幅を知るには良いだろうと思いましたが、どちらも3拍子で、テンポ感などは少々近いものがあるのが気になりました。
 ベッキー役の課題はさらに迷いました。ベッキーは会話(掛け合い)や重唱として登場することが多く、独唱部分が思ったよりも少ないのでした。かろうじて、上記のセーラ役課題の直後に出てくる、ある程度の長さのある独唱部分を課題として抽出しました。
 しかし、ベッキー役は応募がありませんでした。キャラクターのアピールをもっとしたほうが良かったかもしれないということを思いましたが、わりと音域が低めなので、「ソプラノまたはメゾソプラノ」と要項に書いたのも良くなかったかもしれません。ソプラノ歌手からすればあんまり見せ場が無いような気がしたのでしょう。
 協会内からもオーディションに参加して、全部で10名ほど、全員セーラ役希望であったわけですが、どんな人が来るのかは蓋を開けないとわかりません。内部の人は声も歌いかたもよく知っていますけれども、外部参加者はまったくの未知数です。関係者の中で、エントリーした人の名前を知っている者はほとんど居ませんでした。
 もちろん応募用紙には演奏歴を記入する欄もあったのですが、それだけではなんとも言えません。また、歌唱力がすぐれていても役柄に適わないということもあるわけで、そこがコンクールとオーディションの違うところではあります。

 そんなわけで今日がオーディション当日であったわけですが、私にとって新鮮な経験であったのは、自分の作った曲を10人近い歌い手がかわるがわる歌ってくれるということでした。
 NHK合唱コンクールなどの課題曲の作曲を頼まれたことがまだ無いので、自分の書いたものを続けざまに繰り返し聴くという経験をしたことがほとんどありません。昔、非常勤講師をしていた自分の母校の校内合唱コンクールの課題曲を書くということはしばらくやっていたことがあり、ほとんどの年は編曲ものであったものの、『風』『早春』それに『秘密の小箱』というオリジナル曲を使った年がありました。たぶんそれがすべてであったろうと思います。
 その3曲にしても、校内コンクールの課題曲ですから、演奏レベルはさほどのことはありませんでした。しかも指導する先生がひとりかふたりなので(オリジナル曲を使った時は、私自身はすでに講師をやめていましたから、自分では指導していません)、解釈の多様性などは生じません。同じ方向性でうまいか下手かというだけの差でした。
 今回は、曲がりなりにも専門の声楽家の皆さんが、私の書いた曲で競ってくれるわけですから、これはまことに光栄な話です。私にとって新鮮な経験であるばかりでなく、こういう経験ができる作曲家というのはけっこう限られているような気がします。それぞれに個性もあるでしょうし、私が事前に歌いかたをチェックしているわけでもありませんから解釈の相違も生まれているでしょう。面白いことになったものです。

 子供の役なので、あまり背が高い歌い手は使えません。子供と言っても、原作に準拠すれば7歳~11歳ということになってしまい、それをリアルに表そうとすれば天才子役でも探すしかなくなってしまいますが、そこは台本での設定もぼかしましたし、オペラという特殊な場なので許されるファジーさもあります。
 例えば蝶々夫人は設定上は15歳ですが、そんな年齢に見えるてふてふさんなど見たことがありません。何人もの作曲家がバレエ化・オペラ化している『ロミオとジュリエット』ジュリエットは14歳です。『ヘンゼルとグレーテル』グレーテルは明確な年齢設定はありませんが、たぶんもっと幼いでしょう。このあたりがヒロインの最年少ラインと思われ、それに較べてもセーラはかなり低年齢なほうであるようです。
 それが大人っぽく見えてしまうのは、オペラの場合いたしかたありませんが、背の高さがありすぎたり、横幅が広すぎたりする人はやはり違和感があります。
 他の審査員に聞くと、「背の低い歌手」が求められるオーディションというのは滅多にないそうで、今回演出をしてくれる加藤裕美子さんも、本来は歌手であったのが、背が低いためにオーディションになかなか受からず、オペラ歌手を諦めて演出家になったという経歴の人だそうです。
 セーラのみならず、ベッキーもアーメンガードラヴィニアジェシーも、そんな大柄では似つかわしくありませんし、ロッティなどはさらに小柄であることが求められます。
 「日本人にはあんまり大きな人居ないし、もしかするとこのオペラは小柄な歌手たちの救い主になるかもしれないよ」
 と、やはり審査員を務めた水島恵美さんに言われました。

 オーディションの内容や結果については、審査発表のタイミングの問題があるので、ここで書くわけにはゆきませんが、少なくとも、箸にも棒にもかからないようなひどい受検者は居らず、みんなちゃんと勉強してきている人たちだったので安心できました。
 キャラクターが決まっているせいか、思ったほど解釈のバラエティはありませんでしたが、それでもいろんな歌いかたがあって興味深く聴けました。
 実はいちばん心配していたのが、自分の書いた同じ歌を何遍も聴くことで、飽き飽きしてしまわないかということでした。曲そのものに魅力が無ければ、そういうことも起こりかねません。つまり、自分の書いたものにそれだけの魅力があるかどうかという点が私の最大の懸念でした。自己中心的かもしれませんがこれはやむを得ないことです。
 が、その点も心配するほどのことはありませんでした。というか、自分で言うのも厚かましいことながら、聴けば聴くほど味わいが出てくるようではありませんか。もしかしておれには才能とかいうものが備わっているのかもしれない、と本気で思ったりしました。
 思っていたとおり、歌唱力はすぐれているのに

 ──セーラじゃないよな。

 と感じられる人も居ました。歌曲のように坦々と歌っている人も居れば、すでにいろいろ演技をつけている人も居たし、審査の重責を担いながらも、愉しんで聴いていられました。
 セーラよりはベッキーのキャラクターに似つかわしい人も居て、これはむしろありがたいことでした。ベッキー役の志願者がゼロであったために、セーラ役の落選者から選ぶしかないという状況だったのです。演奏家協会のめぼしい歌い手は、すでにもうなんらかの役柄に就いてしまっていて、もう主役級の人を捻出する余地がありませんでした。いや、主役級の力量を持つ人は居ても、ベッキーのキャラじゃないだろうという人ばかりというのが正確なところでしょうか。
 ともかく、面白い経験でした。
 これで作曲の追い込みにもはずみがつけば良いのですが……(笑)

(2014.12.3.)

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