忘れ得ぬことどもII

オペラとアニメ

 先週から、『セーラ A Little Princess』の合唱稽古がはじまっています。一般公募した合唱メンバーのうち、特に音取りに自信が無い人たちに希望をとって、「初心者コース」と称して2回ほど練習するのですが、その初心者コースがはじまったわけです。で、来週からそれ以外の公募参加者が合流し、「区民講座」として開講するのでした。キャスト稽古、つまりプロの連中の稽古もだいたい時を同じくして開始されます。いよいよ動き出したな、という気がします。
 「板橋編成」オーケストラへのアレンジも、ようやく着手しました。ヴォーカルスコアが完成してから1ヶ月ほど空いてしまいましたが、他にもやることがあったのと、なんとなく機が熟さない感があったので、なかなか着手できませんでした。新曲なので、アレンジも例年よりなんとか早めに済ませたいものです。
 ちなみに今年の「板橋編成」は、かなり筒いっぱいというべきメンバーになりました。ヴァイオリンが4挺参加してくれるのは心強い限りです。去年の『トゥーランドット』の時の6挺には及ばず、2パートに分けるということは難しそうですが、それにしても「第一ヴァイオリン」だけでも本物の弦楽器が入っていると、弦楽合奏の雰囲気が出やすいようです。弦楽器はその他、チェロコントラバスも参加してくれることになりました。

 木管陣の、フルートオーボエ2本・クラリネット、それにサクソフォン5重奏という組み合わせは大体例年どおりですが、金管楽器もトランペットと、トロンボーン2本が使えるのでかなり融通が利きます。トランペットは、最近ではただひとりの奏者だった長谷部守くんが関西のほうで就職してしまったため、使えないかと諦めていたのですが、なんと最近連絡があり、ぜひオンステしたいということでした。本番もリハーサルも、わざわざ上京してくれるそうです。
 あとピアノが入ります。ハープや打楽器など、運搬その他でお金のかかりそうな楽器、あるいは外部からエキストラを集めなければならなさそうな楽器は、今回は使わないことにしました。本当はジャズっぽい箇所もあるので、ドラムセットくらいはあったほうが面白そうなのですが、演奏家協会の中でまかなえるというところにこだわりました。
 いずれは──見果てぬ夢ということになるかもしれませんが──フルオーケストラにしてみたいと思っています。『レクイエム』『星空のレジェンド』等々、最近は後日のフルオケアレンジを想定した曲を作ることが多くなった気がします。

 さて、オペラの企画は本格的に動き出しましたが、まったくの偶然ながら、まさにいま現在、世界名作劇場アニメの「小公女セーラ」をテレビで再放送しているのを発見し、大いに驚きました。
 TOKYO-MX2で、朝6時から2話ずつ放映しているのです。
 何週間か前に、マダムがこの枠を発見し、録画して見はじめていたのでした。その時は曜日により日替わりで、「あらいぐまラスカル」「大草原の小さな天使ブッシュベイビー」「私のあしながおじさん」「七つの海のティコ」それに「愛の若草物語」が放映されていたのですが、「ラスカル」「ブッシュベイビー」「あしながおじさん」「ティコ」の4本はマダムが見はじめた時にはもう終盤だったようで、相次いで最終回を迎えました。そのあと何をやるのかと思っていたら「小公女セーラ」がはじまったわけです。しかも、これは日替わりでなく、毎朝となりました。「若草物語」はまだ完結していないため、金曜日だけはそれが続いていますが、月曜〜木曜が全部「セーラ」になっていたのでした。
 本放送は1985年だったようで、ちょうど30年前になります。そんなに前だったかと驚きますが、世界名作劇場の最終作品「家なき子レミ」が終わってからもすでに18年も経っていますから、「セーラ」が30年前というのもむべなるかなです。
 私はその頃、実は世界名作劇場をほとんど見ていませんでした。
 日本アニメーション作品シリーズとしての世界名作劇場は、1975年「フランダースの犬」からはじまりますが、その前年の「アルプスの少女ハイジ」も普通はシリーズに含めて考えられています。制作会社はズイヨー映像ですが、そのスタッフはほとんど日アニに引き継がれたのでした。「ハイジ」以前は、カルピスまんが劇場という枠で「山ねずみロッキーチャック」「ムーミン」「アンデルセン物語」と遡りますが、これらは世界名作劇場としてカウントされることはあんまり無いようです。
 私は「ハイジ」を見て、「フランダースの犬」を見て、「母をたずねて三千里」を見ました。小学6年で多少色気づいていた私は「三千里」のアニメオリジナルキャラである芸人一座の娘フィオリーナに「萌えた」、という話は前に書いた憶えがあります。
 次の「ラスカル」は中学受験と重なったため最初のほうを見ておらず、そのせいかその後も見たり見なかったりでした。「ペリーヌ物語」「赤毛のアン」はほぼ全部見ました。「アン」あたりからキャラクターデザインが少し変わってきた気がしました。
 続く「トム・ソーヤーの冒険」「ふしぎの島のフローネ」は、かなり見ていない回があったように思います。私も高校生になって、日曜夜19時半のアニメを毎週チェックできる状態ではなかったと思います。その頃からわが家にはビデオデッキが入ったと思いますが、録画してまで見る気はしませんでした。
 1982年作品「南の風のルーシー」から、90年作品「あしながおじさん」まではブランクになっています。10年近く見ていなかったわけです。再び見たのが91年「トラップ一家物語」で、「サウンド・オブ・ミュージック」の元ネタということで興味を持ったのでした。「ブッシュベイビー」はその流れで見ていましたが、珍しいアフリカ物ということで気にかかったのです。
 翌年の「若草物語 ナンとジョー先生」は「愛の若草物語」の続編なので、元のほうを見ていなかったのでこちらも見送りました。次が「ティコ」で、これは世界名作劇場初のオリジナルアニメだったので面白そうだと思ったのでした。
 「ロミオの青い空」「名犬ラッシー」は見ず、「レミ」が9月という変な時期から開始されたのにひっかかって見ていたら、それが最終作となってしまいました。最後の「ラッシー」と「レミ」は平均視聴率が10%を切っていたらしく、そろそろ潮時だったのでしょう。なお、世界名作劇場の平均視聴率を並べてみると、年を追うごとに一様に下がってきています。
 「小公女セーラ」はちょうど私の「世界名作劇場空白期」にあたっていたので、本放送は見ずに終わってしまったのです。

 わざとしたようにタイムリーなので、正直びっくりしました。「初心者コース」に指導に行った時も、ちょうどいまアニメをやってるので、良かったら見てください、と薦めてしまいました。もっとも今週の練習で聞いてみたら、誰も見ていなかったようです。TOKYO-MXをどうやって見れば良いのかわからないという人がけっこう居るようで驚きました。BSやCSではなく地上波デジタル放送ですので、現在の東京近辺のテレビなら普通に映るはずなのですが……
 MXだったかどうかは忘れましたが、再放送は何年か前にもやっていました。その時は夕方の放送だったように記憶していますが、私がたまたま見たのは最終回でした。実は、オペラのラストシーンが船出になっているのは、その時見た最終回からのパクリです。原作のラストは、パン屋のシーンでふっつりと終わりになっており、あまりラストとして盛り上がりません。
 セーラが零落した時期に、偶然道端で拾ったコインでなけなしのパンを買ったものの、もっとみじめったらしい乞食の女の子アンにそのパンを全部あげてしまう、というエピソードがあります。セーラの窮迫ぶりと、その窮迫の中でも親切心を失わないところを描いたエピソードですが、街中まで拡げると舞台づくりが大変になりそうだったし、そもそも時間もぎりぎりだし、また現代の眼から見てセーラのいい子ちゃん加減が不自然なほどだという気もしたので、オペラの台本ではこのくだりは採用しませんでした。
 原作は、アンがそのパン屋で養われることになったとセーラが知って喜ぶ、という、わりと地味なエピソードで締められています。世の中そう捨てたものではない、という印象を残し、これはこれで余韻があるとも言えるのですが、オペラとしては盛り上がりに欠けますし、そもそも前のパン屋のエピソードを切ったので、このラストシーンは使えません。
 アニメの制作陣も、やはり地味だと思ったのでしょう。アニメのラストは、セーラがカリスフォード氏と一緒にインドへ旅立つところで終わっていました。ダイヤモンド鉱山の引き継ぎなどの件で、いちどインドへ赴かなくてはならない、という説明がなされていたのだったと思います。それで、私の台本でも、こちらのラストシーンを採用したわけです。
 初回からわりとしっかり見るのは今回がはじめてです。まあ、しっかり見ているのはマダムで、私は別の部屋で音声だけ聞いていたり、時々チラ見するくらいのことが多いのですが。
 オペラの台本では、原作をいかに短く刈り込むかというところに意を用いましたが、アニメのほうは1年間番組ですから、原作をふくらませるほうに努めています。全48話中、10話くらいでセーラの父の破産と死が伝えられるので、残りは蜿蜒といじめられ続ける感じのようです。原作では約3分の1くらいのところでその事件が起こりますので、15話くらいまではもう少しいい目を見せても良かったかもしれませんね。
 マダムは当初ラヴィニアに感情移入して見ていたようですが、零落後はたちまちセーラに肩入れするようになりました。まあ制作陣にはそういう計算もあったかもしれません。優等生で気だてが良くて大金持ちで……となると、現代の視聴者にはなかなか共感を得られないと思われます。
 セーラの完璧超人ぶりは、原作でもアニメでも、少々鼻につくレベルであるような気がするので、私の台本では、どちらかというと「不思議ちゃん」的な面を強調したということは前にも書いたと思います。また、零落後に人並みに自暴自棄になりかけたり、ミンチン先生の理不尽な暴言に思いきり顔をしかめたりする場面も書き足しました。
 自暴自棄になりかけたところを、ベッキーの励ましの言葉で立ち直る、という筋書きにしてあります。私は実のところ、うろ憶えで、原作もそうであったような気がしていたのですが、あらためて読んでみると、ベッキーはほとんどなんの役にも立っていないのでした。相憐れむ仲ではあるものの、セーラの気持ちの上での再生に寄与しているとは言えません。というかセーラの「気持ちの上での再生」などということは無くて、ずっと変わらずポジティブであり続けています。ベッキーが助ける余地などありません。私はベッキーにも見せ場を作ってやりたかったので、セーラのパーフェクトキャラクターから、いくぶんかの引き算をおこなったのでした。
 あとオペラ独特のキャラ立てというと、ラヴィニアがそうです。『レ・ミゼラブル』エポニーヌのように、原作では薄い役なのに、えらく力のこもった歌を割り振られるという立場にしてやりたいと思いました。原作では最後まで意地悪な役ですが、オペラでは悔恨のアリアを歌い、最後にセーラと和解します。むしろ将来的にはアーメンガードやベッキーよりも「親友」になるのではないか、という含みでラストを迎えています。アニメではどうだったでしょうか。
 ミンチン先生にしても料理番にしても、根っから意地悪ということにはしませんでした。だいたい根っから意地悪な人が寄宿学校などはじめるわけがありません。ただ山のように懸案事項があって、それに追いまくられるばかりにヒステリックになっているという設定です。ぜひ大人の鑑賞に堪える物語にしたかったのでした。

 アニメを見ながら、登場人物をつい今回のキャストにあてはめている自分に気がつきます。そうしてもほとんど(ヴィジュアル的にさえ!)違和感がないのでした。実際、今回の配役は「神キャスティング」だったんではないかとすら思います。
 そのキャストたちが、間もなく稽古に入って本当に動きはじめると思うと、楽しみでなりません。

(2015.2.26.)

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