忘れ得ぬことどもII

草稿完了

 ようやくオペラ『セーラ〜A Little Princess〜』の草稿を書き終えました。まだこれからFinaleへの入力が残っており、細かいアーティキュレーションやダイナミクスはその時につけますし、音も推敲して変えることがありますので、完成とは言えません。また、『星空のレジェンド』と違って、こちらは全曲をアレンジする必要があります。その作業にはまたしばらくかかることになるでしょう。いつものオペラアレンジに較べ、自分の曲だから自由が利くということもありますが、逆に元譜から単純に楽器を移し替えれば良いという部分も無いため、手間がどのくらい違うことになるのか、いまのところは見当もつきません。
 いずれにせよまだ当分、『セーラ』との付き合いは続くことになりますが、ともかく下書きが終わったというのは大きなひと区切りであり、心の底からホッとしています。
 最後のほうは、かなり馬力をかけました。特にラストシーンである3幕2場の草稿は、今日一日で書き上げてしまいました。もっとも、後半の合唱のところは、先日のファミリー音楽会で演奏するために昨年中に作ってありましたので、今日書いたのはそこへつなげる箇所までということです。不自然さを感じさせずにつなげられるか、いくばくかの不安はあったのですけれども、夕方そこがぴたりとはまった時には、感激というかカタルシスというか、滅多にないような達成感を覚えたものでした。

 それにしても長い道のりであったと思います。
 日誌で、このオペラについて最初に触れたのは、2013年の8月28日でした。題材として『小公女』『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』を考えており、演奏家協会の役員会に企画書を持って行って諮ったら、圧倒的に『小公女』が支持された、ということを書いています。
 企画書には、その秋くらいのうちには台本を書き上げ、翌年のオペラ公演(『トゥーランドット』)が終わる頃までには、全曲とは言わないまでも主要部分などは作曲ができているという夢のような心づもりを記していましたが、憂き世のならいでそう順調にはことが運ばず、約半年後の2014年2月14日に、まだ台本が完成していないとぼやいています。
 半年も何をしていたのかというところですが、いろいろ他に仕事があって、なかなか台本にかかることができなかったのでした。元ネタ本として伊藤整訳による新潮文庫版を買ったのはわりと早く、上記の8月28日よりも前だったのですが、それを台本化するのは考えていたほど簡単ではありませんでした。
 原作は長編小説ですので、オペラにするためには多くのエピソードをカットしてしまわなければなりません。冒頭のいわば「入学手続き編」のあたりは捨てよう、と最初から決めていました。セーラの父親のキャプテン・クルーは、名前だけの登場にして、実際には姿を現さないことにしたわけです。
 浮浪児アンとパン屋のエピソードもカットしました。セーラの窮迫状態がよくわかるエピソードではあるのですが、全体のストーリーの上ではさほどの重要性がないと思われます。
 弁護士カーマイケル氏の家族を描いたくだりもカットです。ネズミのメルチセデックも出しません。セーラの空想話もひとつだけに絞ります。
 そうやって構成を絞りに絞った上で台本を書き始めたわけですが、序曲にあたる合唱のテキストで早速停滞してしまいました。英国における女性の地位向上を称えるようなところから、ミンチン女学院の学生歌みたいなものへつなげようとプランは立てたものの、なかなか言葉が出てこないのです。結局その状態で年を越してしまったのだと記憶しています。
 そこをクリアすると、あとはわりとすらすら筆が動き始めました。去年のファミリー音楽会2月16日でしたが、台本の第一稿が完成したのはこの日であり、すぐに5部ほど印刷して、打ち上げの時に何人かに渡したり見せたりできました。14日にぼやいてから急速に作業がはかどったのでしょう。2回ほどあったファミリー音楽会のリハーサルの時に、自分が編曲などで関わっていない曲の練習中、客席に陣取って、レポート用紙に台本の下書きを書きなぐることに没頭していたのはよく憶えています。私はそういう場でわりに仕事がはかどるほうで、それ以前にもよく、リハーサルの最中にもの書きをしていたことがあります。

 作曲開始について触れたのは3月3日の文章です。その時点で、「先週からはじめた」と書いていますので、着稿は2月末だったのでしょう。つまりこのオペラの作曲には、ほぼ11ヶ月近くかかったということになります。私のそれまでの作品中いちばん長かった『葡萄の苑』の作曲に要したのは4〜5ヶ月ほどだったと思うので、やはりシャレにならない長さであったということになりそうです。
 ロッシーニ『ウィリアム・テル』を17日で書き上げたとか、それを聞いたドニゼッティ
 「そんなにかかったのか、あの怠け者め」
 とうそぶいたとか、まったく嘘だろうと言いたくなります。召使いが何人も居て家事は全部やってくれて、もちろん上げ膳下げ膳で、外出する用事もまったく無く、来客も通信もすべてシャットアウト……というような環境が整っていれば可能だろうか、と考えてみても、私にはできそうにありません。受験の時に8時間でソナタ形式の曲を1曲書いたということはありますけれども、あれはほぼ定型にあてはめて書いたようなもので、作品とは言えません。確かにドニゼッティのオペラというのはオーケストラが甚だしく薄いし、長さもさほどのこともなく、アリアの盛り上げかたもワンパターンではありますが、腐ってもオペラであって、そうそう手早く書けるものであるとは思えないのです。

 1幕1場を書き終わったのが4月7日のことでした。この場がいちばん長いので、最難関を越えた気分だと日誌に書いています。
 ここまでで1ヶ月半弱かかっているわけですので、この場が最長であったとすれば、単純計算すれば7、8ヶ月で全曲仕上がったはずです。しかし、もちろんそうはゆきませんでした。
 実際には、1幕1場は850小節あり、1幕2場は539小節、2幕1場は824小節、2幕2場は752小節、3幕1場は657小節で、確かに1幕1場が最長ではあるのですが、2幕1場のように大差のないところもあり、書き終えての感触としては、どのシーンも(台本自体が短い3幕2場を除き)同じくらいの手間がかかったという感じです。
 1幕をほぼ終えたと書いたのが7月19日です。1幕2場に3ヶ月以上かかった計算になります。この期間には、もちろん『トゥーランドット』のアレンジが入っており、また『印度の虎狩り』も書きました。いずみたく作品集の合唱編曲もありました。要するに手をつけられない期間が長かったのです。
 そういう具合に別の仕事が入ると、再起動するのにやや時間がかかるということは言えるかもしれません。『トゥーランドット』公演終了までにおもだった部分の作曲完了などという皮算用は、完全に反故になりました。完了どころか、3分の1行ったかどうだかという程度のていたらくです。そろそろ危機感を覚えました。
 2幕1場を書き終えたのは11月の20日頃でした。11月27日に、先週書き終わったと記してあります。このシーンには約4ヶ月かかっていたことになります。この時期には『法楽の刻』の作曲がはさまり、『星空のレジェンド』も並行せざるを得ない状況で、なんとか時間を盗んでは『セーラ』を進めるという、きわどい日々を送っていました。先日のファミリー音楽会のための(かなり大量の)編曲もこの時期です。ひとつだけありがたかったのは、上にも書いたとおり、ファミリー音楽会で終幕の合唱を披露するので、否応なくラストを書き上げなければならなかったという点です。
 12月3日には主役オーディションもあり、いろんなことが本格的に動き始めました。もう、うかうかしてはいられません。『星空のレジェンド』は10曲めまで書いたところで一旦封印して、『セーラ』2幕2場に専念しました。馬力をかけたおかげで、2幕2場は12月なかばで仕上がりました。はじめて、1ヶ月足らずでひとつの場を書き上げたことになります。
 それから大急ぎで『星空のレジェンド』の残りを書き、年の瀬も年の瀬、12月29日に脱稿しました。

 年末の残りの時間は、年賀状づくりと正月料理づくりに追われ、2015年の年始は1月4日までまったく手をつけられず、5日にようやく『セーラ』に戻ってきました。
 3幕1場の前半は、この長いオペラの中で唯一、男だけによって話が進むところです。ある意味では新鮮でした。また唯一、男女の二重唱があります。残念ながらラブソングではなく、初老の男が少女に対して、養女になってくれるよう頼むという場面ですが、考えようによっては擬似的な恋愛であるとも言えます。そんなつもりで作曲しました。最後にセーラが養女になることを受諾するところは、作曲のイメージとしては、求愛や求婚を受諾するくだりと同じようなつもりで書いたのでした。私はやはりラブソングが好きなようです。
 かなり大量の言語量を持つ、カーマイケル弁護士とミンチン院長の言い合いのシーンなど、作曲が相当に手間取るのではないかと心配していましたが、意外と楽でした。それぞれのモティーフをわりと固定化しておいたおかげかもしれません。「この人がしゃべる時にはこのモティーフ」という風に決めておくと、わりにサクサクと進むものであるようです。
 3幕1場ラストの、ミンチン院長の妹アメリアがぶち切れてまくしたてるあたりも、同様にサクサク書けました。ここはブギウギ調にしてしまおうと、かなり早い段階から決めていました。その前はラップ調のイメージがあったのですが、アメリア役が長野佳奈子さんとほぼ決まった時点で、ほぼ唯一の見せ場がラップでは気の毒かもしれない、と思い、方針を変えた次第です。
 そんなこんなで3幕1場の草稿を書き終えたのが昨日(20日)の深夜、正しくは今日の午前2時くらいでした。
 そして今朝起きてから3幕2場にとりかかり、一気に進めて夕方に書き上げました。すでに作曲済みの後半の合唱を除いた正味の分量は約120小節で、これまでの場に較べて圧倒的に短くはあったのですが、それでもこれだけの量を半日ほどで書き上げたなどということは滅多にありません。
 引き続きfinaleでの清書にかかったのですが、3幕1場の分をまず終わらせ、2場に入ったところで出かけなければなりませんでした。用件は演奏家協会の役員会だったので、できればそれまでに印刷して、渡せる人には渡そう(役員会にはミンチン役の水島恵美さん、アメリア役の長野佳奈子さん、アーメンガード役の菅原直子さん、ロッティ役の佐藤真弓さん、それに料理番役の宮内直子さんと、5人も登場歌手が居ます)と思っていたのですが、わずかに間に合いませんでした。

 明日中に残りの入力を済ませてしまえるでしょう。
 それが終わったら、まず合唱講座用の譜面を抽出する作業があります。アマチュアを集めておこなう合唱講座では、全曲の楽譜を配るのは大変だし無駄でもあるので、合唱の部分とそれに関連する箇所だけ抽出した専用のテキストをいつも作っているのですが、今回はファイル名を付け替えて、必要のないところをばっさりカットするだけの作業ですから、ヴォーカルスコア丸写し入力を強いられる例年に較べるとだいぶ楽です。
 それからいよいよアレンジにかかります。例年、出るのか出ないのかなかなかはっきりしない奏者が居たりして、3月くらいにならないと全容が決まらず、アレンジにかかれないということが多いのですが、今回はインペクの吉原友恵さんが張り切ってくれて、もう全奏者が確定しています。ありがたい話です。
 それにしても去年から今年にかけて、ずいぶん根を詰めて作曲したと思います。根を詰める対象が編曲などではなくて作曲であったというのが、振り返ってみれば嬉しくてなりません。これだけ高密度で創作に打ち込めた時期というのは、いままでもそんなにありませんでしたし、今後もどの程度あるものでしょうか。

(2015.1.21.)

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