忘れ得ぬことどもII

三題噺(マスク・オリンピック・リニア)

 梅雨はまだ明けないようですが、だいぶ暑くなってきました。武漢ウイルス蔓延後、外出時の必須マナーとなったマスク着用も、だいぶしんどくなっている人が多いのではないかと思います。ひんやりとする材質で作られたマスク、肌への密着部分を減らすように工夫したマスクなど、いろいろ作られているようですが、日本の夏の蒸し暑さは、そんな小手先の改良ではなかなか乗り切れないのではないかと考える次第です。
 私の住んでいるあたりでは、本格的な猛暑日はまだ訪れていませんが、真夏日はすでに何度かあり、しかも時間によっては雨模様で湿度も高く、マスクをして外を歩いているだけで口まわりにとっぷり汗をかき、マスクそのものもぐしょ濡れになっていたりするのでした。
 そうなってくると、かなり息苦しくもなります。吸い込む空気もだいたい体温と同じくらいの温度になっているわけですし、吐き出した炭酸ガスが充分に拡散せず、マスクの中に滞っているのをまた吸うみたいな感じになって、暑さとあいまってなんだかメマイがするほどです。この先、梅雨が明けて本格的な夏になったらどうなることかとうんざりします。
 自転車に乗ってある程度遠くまで行く際は、私はもう走行中はマスクを外しています。
 何週間か前に、マスクをしたままピアノ教室まで自転車を走らせたら、その往復でかなりへたばりました。その時に疲れたというだけでなく、どうもそれから耳の調子がおかしくなっています。エレベーターで急上昇したときみたいな、鼓膜がひっくり返ったような感覚がずっと続き、唾液を呑み込んでも欠伸をしても治りません。
 こういう症状ははじめてではなく、確か前にシチリアへ行った帰りにもなったことがあります。あともう一回くらい経験があるような気がします。いずれも、非常に蒸し暑いところで大変にくたびれたというようなことがあったのちに発症しているようです。何かの拍子にスポンと抜けたように治りそうな感覚なのですが、実際にはそうではなく、しばらくするといつの間にか治っていたという記憶があります。
 ともかく、そんな不調が訪れてしまったので、近所に買い物に行くくらいならともかく、30分40分と自転車で走るときにはマスクをしないことにしたのでした。まあ、自転車で走っていれば、他の人とソーシャルディスタンス内に接近することはまずありませんので、たぶん問題は無いでしょう。それでも感染してしまったら、もうどうにでもしてくれという気分です。

 自転車はそれで良いとして、歩くときも距離によってはだいぶしんどくなっています。特にこのところ、雨降りの中をけっこう長い距離歩く日が多く、マスクをつけっ放しだとこれまた苦しくなってくるのでした。
 そんな息苦しい状態の中、一緒に歩いているマダムはえらくべらべらとしゃべりまくっているので、よく苦しくならないなと思って振り返ってみると、マスクをずらして鼻と口を出して歩いています。それではほとんど意味が無いように思えますが、まあ混雑の中を歩いたり、人と短距離ですれ違ったりするのでない限り、それでも良いのかな、と思ったりもするのでした。私もマスクをずらしたり戻したりしながら歩いています。
 もっともマダムによると、フランス語学校の先生が、しゃべるときにいつもマスクをずらしているのだとか。マダムはいつも最前列に坐って「謦咳に接し」ているらしいのですが、それはちょっとダメではないかと。日本暮らしが長い先生なので、本国人のようなわけのわからないマスク忌避症は無いと思われますが、それでもしゃべろうとするとつい邪魔に思えてしまうのでしょう。

 バスや電車に乗るとなると、やはり着用せざるを得ません。着用していないときにへたに咳き込みでもしたら、同乗の客たちから間違いなく白い眼で見られます。マダムは喘息気味なのでちょくちょく咳き込むのですが、彼女は咳やくしゃみをするとき、なぜかマスクをずらすらしくて、電車の中で何度も白眼を向けられたり、隣の席に坐っていた人が退避したりしたそうです。それはまあそうでしょう。
 「アレルギーです」「喘息の咳です。伝染りません」等々と書かれたプレートみたいなものがあるそうですが、ややジョークグッズに近い感じで、実際に見かけたことはありません。
 それにしても緊急事態宣言下ではバスも電車もずいぶん空いていた様子ですが、その後朝ラッシュなどはすっかり元に復したようです。通勤電車という究極の「三密」があっさり戻るのでは、なんのためのテレワークであったのかとじれったく思います。いまでもテレワークという知人も居ないではないのですが、たいていの企業では社員に元通りの通勤を求めはじめているのでしょう。社員に通勤させる必要がありますか、という、企業向けのコマーシャルが打たれているほどですから、あんまり学ばなかったところも多いと思われます。
 ただし晩の電車は、わずかながら以前よりも混んでいないような気がします。私が晩の電車に乗るのは、板橋で寄り合いがあった帰りであったり、Chorus STの練習のあとだったりで、21時22時というあたりが多いのですが、そのあたりの電車の混雑度が低くなっているのは、仕事のあと一杯ひっかけて帰るという連中が少なくなったせいかもしれません。

 昨日・一昨日(7月23・24日)は連休でした。今日の土曜日を含めると4連休だったわけです。しかし東京都では23日だけで300人以上という、かつてないほどの感染者増が見られたため、どこにも出かけられない連休であった人も多かったでしょう。
 実は私はかなり直前まで、この連休のことに気づいていませんでした。手帳の年間カレンダーなど何度も眺めているのに、われながらあきれたものです。7月の第3月曜日のはずだった海の日が木曜日に遷り、金曜日は耳に馴染みのないスポーツの日だとか。ふと気づくと10月に祝日が無くなっており、体育の日がここに遷されて名前まで変えられてしまったことにようやく理解が届いたのでした。
 もちろんこの祝日の移動はオリンピックを見込んでのことです。そういえばオリンピックに合わせて祝日を動かすというような話は前に聞いた憶えがありました。今年のオリンピックは見送られましたが、動かした祝日はそのまま残すしかなかったのでしょう。
 祝日を動かすのは、開会式から数日を休みにすることで、国民がオリンピックを愉しむ機会を増やすという意図ではあったでしょうが、それ以上に、運輸の問題があったと思われます。本来、中央市場を築地から豊洲に移すのは、築地の市場の跡地を活用して環状2号線を通し、選手や観客の移動と首都の物流がバッティングしないようにするつもりだったと聞いています。それを小池百合子都知事がストップさせたりして間に合わなくなり、結局道路は造れず、オリンピック期間中は物流を控えるようにというようなむちゃくちゃなお達しが出たりしたあげくに、せめて平日ではなくして、通勤客が押し寄せないようにし、かつ物流も休日並みの動きにして、少しでも東京を空けようとした結果が、この連休だったわけです。
 予定どおりなら、この23日が開会式だったはずでした。
 その23日に、安倍晋三首相は来年の開催に向けて不退転の決意で臨むと表明しましたが、はたして1年後、世界はオリンピックを開くだけの余裕を取り戻しているでしょうか。
 オリンピックに関しては、日本だけが頑張ってもどうしようもないという問題があります。参加国すべてが、選手を送り出すだけの余裕を取り戻していないと成立しません。それが1年後に可能なのか。
 何度も書いていますが、武漢コロナ禍の根本的な解決は、ワクチンか特効薬が完成するまではありえません。いまのところ、いくつか効きそうな薬は出てきていますが、まだ対症薬のレベルでしょう。重篤化を防ぐとか、進行を遅めるとか、そのくらいのものです。そして、ワクチンの完成は来年になるか再来年になるかと言われています。また、ワクチンのレシピができたとしても、実際の製造はそう一気にできるものでもありません。
 1年後では、まだ大規模な国際大会を開けるだけのおさまりは見られないのではないかと思えてならないのです。
 オリンピックが来年開催できるかどうかは、私はかなり懐疑的です。
 コロナ禍のことを別としても、7月下旬から8月上旬の東京という開催条件が、相当に無謀なのではないかということを、私は何度も書いてきました。この蒸し暑さの中での屋外スポーツ大会などばかげています。アフリカの沙漠地帯から来た人が熱中症で倒れてしまうような気候なのです。
 新国立競技場は、特に内部を涼しく保つ工夫がされているようでもありませんし、観客からは確実に熱中症患者が多発するでしょう。ただでさえ頭に血が昇りやすいスポーツ観戦です。死者が出るかもしれません。
 選手のほうは鍛えているから、死ぬようなことはないでしょうが、それでも苛酷な蒸し暑さの中、満足すべき記録が出せるかどうか、きわめて疑わしいところです。マラソンは札幌でおこなうなどというみっともないことになっていましたが、来年に延期したとしても同じことになるだけでしょう。
 これらの懸念を開始するのは、いたって簡単です。開催を10月にすればまったく問題が無くなるのです。
 開会式を10月10日とした前回の東京オリンピックは、きわめて合理的でまっとうな判断でした。10月の東京ならば、暑くもなく寒くもなく、スポーツにはうってつけの気候と言えます。
 それが7月8月の暑い盛りとなったのは、これも何度も書いたとおり、主にUSAのテレビ局の都合です。秋にはワールドシリーズなど視聴率の稼げるスポーツ番組が目白押しであり、そこにオリンピック中継を混ぜるのはなかなか大変です。そこで、そういうイベントの少ない真夏にオリンピックを開催するよう要求したのでした。IOCも、USAのテレビ局の支払う莫大な放送権料を無碍にはできず、真夏開催を承諾したわけです。
 しかし、いまやテレビも全世界的に斜陽化していますし、いつまでもテレビ局のワガママに付き合わなくても良さそうな気がします。選手や観客の健康ないし生命には替えられないでしょう。
 どうせ1年ずらしたのだったら、ついでに開催時期も考え直せば良かったと思うのは、私だけではないのではないでしょうか。選手や観客の健康ないし生命をおもんぱかって時期を変えるということに異議を唱える人はそう多くないでしょうし、それでもテレビ局が承知しないのであったら、むしろそのテレビ局のほうが批難にさらされることは間違いありません。テレビにへいこらする時代はもう終わっているのです。
 さらに言うならば、私はオリンピックの持ち回り開催もそろそろ潮時ではないかと考えています。何しろ利権が大きくなりすぎました。あまりにお金がかかりすぎ、開催できる国がだいぶ限られてきています。
 原点に戻って、毎回アテネで開けばそれで良いのではないでしょうか。破綻寸前のギリシャにとっても良い金蔓になることでしょう。初期投資は大変ですが、毎回同じ設備を使えるのですから2度目以降は楽だし、その初期投資もIOCの資金をすっかり投入すれば済むことです。場所はアテネに固定し、運営はIOCか、もう少しイベント開催の専門性に特化した新しい国際組織がおこなえば良いでしょう。もう、オリンピックを誘致することで開発を進めるというような時代でもないと思うのです。

 前回の東京オリンピックが開かれた1964年は、私の誕生年でもあります。そして東海道新幹線の開業年でもあるのでした。新幹線はオリンピックに間に合わせるための突貫工事をおこない、開会式直前の10月1日から開業したのです。当時も真夏開催であれば、新幹線も間に合わないところでした。
 今回のオリンピックにはリニアを間に合わせたいという気持ちも、関係者の中ではあったかもしれませんが、こちらはかなり早い時点で、2020年までには無理という結論が出ていた模様です。リニアは2027年開業ということになっていますけれども、トンネル工事のトラブルでそれも怪しくなっているようです。そうでなくともコロナ禍で工事も遅れがちでしょう。
 何しろ全行程の7分の6がトンネルという、長い長い地下鉄みたいな鉄道で、新幹線のような華やかさは望めません。早い時期にオリンピックを諦めたのは賢明だったかもしれません。
 トンネルというのは、いまだに経験工学である面が大きく、どれだけ事前探査を丹念におこなってみても、「掘ってみないとわからない」ことがまだまだたくさんあるようです。私の住まいの近くを通っている埼玉高速鉄道も、開業が予定より1年遅れたのですが、その理由は、「掘ってみたら」地盤が思ったよりゆるかったため、補強工事を施さなければならなかったからでした。そんなことも事前探査で予測できないのかと、驚きあきれた憶えがあります。
 平地の下を掘った埼玉高速鉄道程度でもそんな様子ですから、南アルプスを丸ごと掘り抜くようなリニアのトンネルともなれば、工事にあたって予想外のトラブルなどいくらでも起こるのではないかと思います。多少開業が遅れても、何よりも安全第一で、事故のないよう造っていただきたいものだと思っています。

(2020.7.25.)

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