シャーロック・ホームズ(7)
最大の敵
シャーロック・ホームズの好敵手と言えば、なんと言ってもジェイムズ・モリアーティ教授を措いて他には考えられない。その卓越した頭脳によってロンドンの暗黒街に一大犯罪組織を築き上げ、ホームズをして「犯罪界のナポレオン」と評さしめた男。ホームズと互角の知力をもって火花散る闘いを繰り拡げ、最後はホームズと相打ちをしてライヘンバッハの滝壺に壮絶な転落死を遂げた男(その後ホームズだけは生き返ったが)。
ホームズの言葉によれば、モリアーティは幼い頃から数学に特異な才能を発揮し、21歳の時に二項定理に関する論文を発表して数学界を瞠目させた。またもうひとつの論文「小惑星の力学」は「純粋数学の最高峰に分け入ったもので、この論文を批評できる科学雑誌はひとつもないほど」なのだそうだ。前者の功績により、イングランドの小さな大学(ダラム大学という説が有力)の教授職を得るが、おそらくその頃から犯罪者を組織し始めたものだろう。彼は教授職として得られる700ポンドばかりの年俸では満足せず、暗黒街に君臨することによって巨大な富と権力を手にしようとしたのだった。
しかし、モリアーティの怪しげな行動は小さな大学町では隠しきれなかったらしく、やがて大学教授の職を捨てなければならなくなった。それから彼はロンドンに本拠を据え、表向きは軍人相手の家庭教師などを務めつつ、組織の拡大に邁進した。
その結果、「ロンドンの未解決事件のほとんど全部と、犯罪の半分」を支配するまでになった。
彼は鉄の掟をもって組織を統治した。裏切りに対する制裁はいかなる場合でも死あるのみ。しかし組織の任務中に逮捕されたりしたメンバーに対しては、釈放や弁護のために莫大なカネが動く。そしてモリアーティ自身はまったく手を汚すこともなく、ただ指令を与えるだけである。要するに巨大な「犯罪請負会社」を彼は作り上げたのだ。
ホームズがこの組織の存在に気づいたのは1880年代後半のことだったと思われる。そして蜘蛛の巣のように張り巡らされた組織の中心に坐るモリアーティを発見し、彼を逮捕し断罪することが自らの使命なのだと確信するに至った。
ホームズは徐々に組織の要所を押さえ、その周囲に網を張り始めた。しかし、モリアーティもさるもの、ホームズの動きを逐一把握していた。
当初、モリアーティは一種の知的興味をもってホームズの行動を眺めていたようだが、1891年に入った頃から、これは容易ならぬ相手だということがわかってきたらしい。組織はあちこちで尻尾を掴まれ、全貌が明るみになって、司法の手が自分の身に届くのも時間の問題という事態になったのである。
モリアーティはついに直接行動を起こし、ホームズと会見し、警告を発したが、物別れに終わった。その直後に彼がホームズの暗殺命令を下したのは言うまでもない。
モリアーティの配下が数回に渡って襲撃したが、ホームズはその都度うまく逃れ、追っ手をまいてしまった。しかしこのままでは危ないと見たホームズは、兄のマイクロフトと相談の上、ワトスン博士を誘って英国から逃げ出すことにする。
すでに組織壊滅の段取りは警察と打ち合わせていた。モリアーティは他の配下たちと一網打尽に逮捕されるはずだった。ところが、警察は無能にも、小魚は全部ひっとらえながら、大魚を逃してしまった。
もはやロンドンには戻れなくなったモリアーティは、ホームズを追って復讐することを誓ったのである。そして、スイスのライヘンバッハで、ついに追いついた。
ワトスンを贋の手紙で厄介払いし、モリアーティはホームズと対峙した。
もはやふたりの知恵の闘いの段階は終わっていた。ふたりはお互いを物理的に葬り去るべく格闘した。
しかし、ホームズはひとつ有利な点があった。バリツなる日本の格闘技をマスターしていたのである。
日本人読者としては気になるところだ。バリツというのはいったいなんのことやら。訳本では柔術としてあるものが多い。相手の力とバランスを利用して投げ飛ばす技だそうだから、確かに柔術のようではある。E.W.バートン-ライトという人物が英国に紹介したものだそうで、バリツという名称は「武術」のなまったものらしい。当時の英国人にとって、柔道や空手や合気道といった日本の格闘技の種類を区別する必要は特になかったのだろう。
ともあれそのバリツのおかげで、ホームズはモリアーティを谷底に投げ飛ばし九死に一生を得た。モリアーティはライヘンバッハの囂々たる滝壺に、永遠に呑み込まれてしまった。
……というのがまあモリアーティのプロフィールなのだが、実は「正典」において、モリアーティが登場する回数はそんなに多くない。短編「最後の事件」と、長編「恐怖の谷」の2回だけで、あとはもっぱら回想として語られるのみである。
楽屋話をすれば、「最後の事件」というのはホームズ物語に飽きた作者コナン・ドイルが、連載を終わらせるために書いたもので、それにはホームズに匹敵する強力な犯罪者を登場させないと説得力がないというわけで、モリアーティという最大の敵を急遽作り出したに過ぎない。多少なりともモリアーティを活躍させるつもりがあったのであれば、もう少し前の回から名前を出していたはずである。
また「恐怖の谷」ははるか後年、1910年代になってから書かれた物語である。すでにホームズとモリアーティの敵対関係は有名になっており、モリアーティが具体的に犯罪を犯す話を読んでみたいという読者の希望が頻々と寄せられていたのであろう。事件の黒幕として再登場させたのである。
ところが、「恐怖の谷」は当然ながら「最後の事件」より前の話ということになる。「最後の事件」が1891年4月に起こっていることは明記されているが、「恐怖の谷」の方は1888年という説が有力だ。この物語の中で、ワトスンはすでにモリアーティの名前と、その極悪ぶりを知っていることになっているが、「最後の事件」ではモリアーティを知らないと言っており、ワトスンはその健忘症ぶりを多くの人から嘲笑されている。もちろんドイルとしてはやむを得ないことであったが、シャーロッキアン的に解釈すれば、これはワトスンによる文章上の工夫と見るべきであろう。読者がモリアーティの名に接するのは「最後の事件」が最初だったのだから、そこで自分は知らないことにしてモリアーティの人となりを解説せざるを得なかったわけだ。
それはそれとして、圧倒的な存在感を持ちながら、実はちょっとしか登場しないモリアーティ教授については、シャーロッキアン諸氏によりさまざまな推測がなされている。
極端な話、モリアーティは実在しなかったのではないかと主張する人々もいるようだ。モリアーティについては、常にホームズの口から語られることしか情報ソースがないのは事実である。ワトスンは事実上一度もモリアーティに会っていない。ホームズと共にヨーロッパへの逃避行に旅立つ時、ヴィクトリア駅で彼らを追ってきたモリアーティを見ているが、よく読むとその時も、ホームズが
「あっ、あそこにモリアーティ自身がやってきた!」
と言っているだけのことで、「列車を停めでもしたげに手を振りながら、狂ったように群衆をかき分けて走ってくる」背の高い男が本当にモリアーティであったという確証はない。ライヘンバッハの滝からマイリンゲンの村まで贋の手紙によって呼び出されたワトスンが途中ですれ違った男がモリアーティであったという証拠もない。すべてはホームズの言葉だけに拠っている。
そこで、モリアーティとはホームズの創り出した架空の人物(ドイルの創り出した架空の人物であることは当然なのだが、シャーロッキアンの世界ではそれは禁句となっている。この場合、あくまで「ホームズ世界の中での架空の人物」という意味だ)で、ホームズは自分の失敗を覆い隠すためにモリアーティなる悪の親玉を創作したのだ、という説が出てくる。
が、これはさすがに無理があろう。ワトスンは「最後の事件」を、モリアーティの兄であるジェイムズ・モリアーティ大佐(教授自身もジェイムズという名であり、田舎で駅長をやっている弟もやはりジェイムズだった。ジェイムズ・モリアーティという複合姓だったのだろうという説が有力)が発表した公開状に反論するために書いたということを明言している。大佐はこの公開状の中で、弟である教授の死に疑義を呈し、弁護の論を主張したのであった。モリアーティがホームズの創作であったとすると、ワトスンのこの言明も真っ赤な嘘だということになるが、そこまで疑ってしまうとそもそもシャーロッキアンの世界そのものが成り立たなくなってしまう。
もっとも、モリアーティを実在させながら違う人物像を付与したパロディもある。ニコラス・メイヤーの「シャーロック・ホームズ氏の素敵な挑戦」では、モリアーティは昔ホームズの家庭教師をしていたが、コカイン中毒となったホームズの妄想で犯罪王に仕立て上げられ、困りはててワトスンのところに相談に来ることになっている。ワトスンはホームズを騙して(!)フロイト博士の治療を受けさせるべくウイーンへ連れてゆくのであった。精神分析学のあのフロイトである。「最後の事件」及び「空き家の冒険」は、ホームズがヤク中の治療中であったというスキャンダラスな事実をごまかすためにワトスンが苦労して創作したというわけだ。
とはいえ、パロディをあまりまじめに受け取るのもどうかと思う。やはりモリアーティはホームズが説明した通りの犯罪王だったということにしておこう。
モリアーティ教授の有名なふたつの論文だが、タイトルだけ示されていて、内容はまるでわからない。私は数学史に詳しくはないけれど、二項定理でそんなに卓越した論文が書けるとも思えないのである。二項定理と、それを拡張したテイラー級数については、すでにノルウェーの数学者アーベル(1802-1829)によって詳細に調べられており、明らかにそれよりあとの時代に生きていたモリアーティが何かを付加できたかどうかは疑問である。
また「小惑星の力学」も、数学上の課題としてはいささか見当外れに思える。アインシュタインの等価式「E=mc^2」を先取りしていたのだと論ずる人もいるが、そんなことを言うのはたいてい文科系であって、はっきりした根拠があるわけではない。どう考えてもアインシュタインを先取りした論文に「小惑星の力学」などというタイトルをつけるとは考えられない。
これについてはアシモフが「黒後家蜘蛛の会」の中でなかなか卓越した見解を述べている。アシモフはタイトルの小惑星(An
Asteroid)が単数になっていることに着目した。小惑星群が過去ひとつの大きな惑星であったという仮説(現代の天文学ではほぼ否定されているが)をひっぱり出して、その惑星が爆発して現在の小惑星帯を形成するに至るまでの力学的な根拠を示したのであろうというのだ。アシモフは最初この説をベーカー・ストリート・イレギュラーズ(由緒あるシャーロッキアン組織)の提出論文として書いたのだが、自分の絶妙な解釈に惚れ込んでしまい、より多くの読者に読んで貰おうと思って「黒後家」シリーズに採り上げたのだそうだ。
モリアーティの組織の全貌は明らかになっていないが、幕僚長としてセバスティアン・モラン大佐がいたことはよく知られている。この男も、生まれは素性正しく、インド駐留の軍人として輝かしい経歴を持ち、虎狩りにおいてはかなう者がなく、何冊かの著書さえあるインテリでもあった。しかし徐々に性質が悪い方へねじ曲がり、うしろ暗い行為に手を染めるようになって軍隊を除隊になった。そこをモリアーティに拾われたらしい。
モリアーティと共にホームズの張った包囲網を突破し、大陸へ逃げたホームズたちを追跡する。ロンドンでホームズにあとを託されていたスコットランド・ヤードのパタースン警部は、あろうことかモランの逐電をホームズに連絡することを怠り、そのためホームズに余計な手間をかけることになったのだった。どうもこの警部、あまり頼りにならない。
それにしても、首領と幕僚長が無事に逮捕を逃れたというのに、モリアーティもモランも、組織を再建しようと考えなかったのは不思議である。ホームズに手ずから復讐しようなどと要らぬことを考えたからモリアーティは命を落とすはめになったのだ。ホームズによると、モランを含めて大幹部クラスの残党が3人も残ってしまったというのだから、その気になれば組織の再結成はそう難しいことではなかったのではあるまいか。だいたいこういう地下組織というものは、リーダーさえ無事ならば、兵隊なぞはいくらでも集まるものなのだ。
思うに、モリアーティには頭のいい人間にありがちな欠点──諦めの良すぎる面があったのかもしれない。波に乗っている時はよかったが、ひとたびホームズという、自分に匹敵する知能を持った敵に攻め込まれ窮地に立たされると、もろくも心の梁を折ってしまったのではあるまいか。
ひとつ解せないのは、モラン大佐は事前に高飛びして逮捕を逃れたものの、指名手配されていたことはまず間違いないと思われるのに、3年後悠々と本名のままでロンドンに住んでいたということである。ロナルド・アデア卿殺しの件で名前が挙がっても、警察はまるっきり気にしていた様子がない。となると手配されてはいなかったことになるし、つまりホームズはモラン大佐を断罪する証拠を集めることに失敗していたのだろうか。それならばパタースン警部がモランの脱出を通報しなかったのも怠慢の故とは言い切れなくなる。この点は不思議とどのシャーロッキアン諸氏も指摘していないようだが、私は気になっている。モランほどの大物を断罪できなかったのでは、ホームズのモリアーティ包囲網も、かなり穴だらけと言わざるを得ないではないか。
モリアーティの配下としてはその他、「最後の事件」に登場した何人かのチンピラ、そして「恐怖の谷」でホームズに内通しているフレッド・ポーロックが登場する。ポーロックは暗号を用いてホームズに情報を漏らしているのだが、その方法はなかなか独創的で、現在でも案外通用しそうだ。
「恐怖の谷」のエピローグで、ホームズの許に謎めいた手紙が届く。
「大変ですよ、ホームズさん。大変です!」
とのみ記された文面で、これがポーロックの出したものなのか、あるいはモリアーティ自身が皮肉を言ってきたのかは定かでない。ともあれポーロックがその後どうなったかはわからない。
それにしてもモリアーティの活躍が少なすぎるきらいがあるので、研究者はもう少し別の事件にモリアーティの影を発見しようとしている。
「赤毛連盟」で銀行押し入りをしようとした犯人の黒幕にモリアーティが居たのではないかと主張する人は結構多い。テレビドラマ「シャーロック・ホームズの冒険」の第1シリーズでは、最終回の「最後の事件」の直前に「赤毛連盟」を置き、ラストシーンでモリアーティを映していた。確かにモリアーティらしいスケールの大きな犯罪であり、時期的にも1890年と、「最後の事件」の前の年になっているので、そう考えてもおかしくはない。
「五つのオレンジの種」の依頼者はアメリカの極右秘密結社KKKの手によって命を落とす。ここにもモリアーティが関わっていると考える人もいる。KKKも英国ではあまり土地鑑がないだろうから、ロンドンの犯罪組織と提携しただろうという主張にはうなづけるものがある。ちょうど「恐怖の谷」のスコウラーズが同じことをしているわけだし。スコウラーズの方は描写からすると極左暴力集団に近いようだが、モリアーティはあんまりそのあたりは頓着していなかっただろう。
これに私が付け加えるならば、「技師の親指」に登場する贋金作り一味なども怪しい。ホームズを出し抜いた撤退の見事さは、誰かもっと頭の切れる人間が糸を引いていたようにも思えるのである。
いずれにせよ、ホームズが本格的にモリアーティ一味と闘い始めたのは、ワトスンが結婚してホームズと離れて住むようになってからと考えられる。「恐怖の谷」は結婚前のようだが、この頃がいわば前哨戦みたいな時期だったのだろう。すでに警察にも内々に知らせていたらしいが、ホームズに師事せんばかりに傾倒しているマクドナルド警部でさえ、まだ信用していなかった。
詳しく書いたら探偵史上稀に見る面白い記録になるだろうとホームズが述懐したこの闘争の一部始終を読むことができないのは、われわれにとっては残念なことである。おそらくワトスンの安全のため、ホームズは最終局面に至るまで、この闘争をワトスンに告げることをしなかったのである。
「警察紳士録」のパタースン警部の項で触れたが、ホームズは大切な断罪のための証拠書類さえも警察に預けず、ベーカー街の自室に保管していた。警察がよほど信用できなかったのだろうか。はたして大陸に旅立つ前夜、ベーカー街の部屋に放火され、危うく資料が焼けてしまうところであった。ボヤで済んだからよかったようなものの、資料が灰になっていたらどうするつもりだったのだろう。おまけにその晩、ホームズは部屋に帰らなかったのだから。しかも、金庫に収めてあるわけでもなく、ただの本棚に「モリアーティ」とそのまんまのタイトルをつけたファイルを置いておいただけとは、あまりにも不用心だ。
いくら芝居がかったことが好きで、最後の最後まで自分の手に秘密を握っていることを好んだと言っても、これはひどすぎる。警察が信用できないのなら、せめて兄マイクロフトに預けておくくらいのことはするべきだったのではあるまいか。マイクロフトなら政府高官だから、書類を安全に保管する方法を考えついたはずである。
ホームズにしては手抜かりが多すぎるので、実はホームズは最初から自分の手でモリアーティを殺害すべく、わざと穴の多い状態にしておいてモリアーティをおびき出したのだと主張する人もいる。こうなるとライヘンバッハの件は計画的殺人であり、ホームズ自身有罪を免れないことになりそうだ。いくら目的が正義であろうと、これでは私刑である。
──「世に正当防衛ということはあります。しかし殺害目的で計画的におびき出した以上、いくら相手の人物に危険を感じていたとしても、それは別問題です。そんな正当防衛があるもんですか」──
「ウィステリア荘」の中で、ベインズ警部ははっきりとそう言っている。
「空き家の冒険」でロンドンに戻ってきたホームズは、アデア卿殺害のかどでモランを逮捕に持ち込むわけだが、モランは結局死刑を免れたらしい。1902年に起こったとされる「高名の依頼人」の中で、ホームズは「まだ生きているセバスティアン・モラン大佐」と言っている。モリアーティの死がホームズの計画的犯行であるとすれば、モランはそのことを承知しているはずであり、あるいはホームズと取り引きしたのかもしれない。死罪を免れさせて貰う代わりに、ホームズの殺人を秘密にする、などと……。
「最後の事件」でのホームズの殺し方も、「空き家の冒険」での復活のさせ方も、かなり強引である。物語が短編である以上やむを得ないところもあるが、作者がだいぶ無理をしている気配を感じる。
そんなわけで、ホームズとモリアーティの闘争についてはツッコミどころ満載であり、シャーロッキアン諸氏の深読みをかき立てる魅力があると言えよう。
(2002.5.3.)
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