秋風のローカル私鉄の旅 (2013.10.14.)

I

 2013年10月13日の夜は、ちょっと身内の祝い事があって、久しぶりにワインを飲んでしまったところ、食後にトイレに入った頃からてきめんに頭痛がしてきました。さほどのこともない場合もあるのですが、おおむねこうなってしまうので、私はあんまりお酒を飲む気がしないわけです。
 帰り道も、電車に乗っているうちは良いのですが、階段を昇ったりするとまた頭が痛んできます。帰宅して頭痛薬を服みましたが、結局寝る時まで頭痛が続きました。
 翌朝もあんまり好い調子ではなかったのですが、前からマダムと出かける約束をしていたので、7時過ぎに起き出して、7時50分過ぎに家を出ました。
 ローカル私鉄の旅第2回です。前回は真夏の暑い盛りに、小湊鐵道いすみ鉄道銚子電鉄鹿島臨海鉄道ひたちなか海浜鉄道を、「少なくともいちどは途中下車をする」という縛りをかけて乗りに行きました。最後にオマケとして、途中下車しようの無い関東鉄道竜ヶ崎線にも乗りましたが、マダムは堪能していたようです。マダムの趣味は私の鉄道趣味とまったくかぶるというわけではないのですが、少なくともローカル線好きという指向性は一致したので、今後も折りを見て各地のローカル私鉄に乗りに出かけようと思っていました。
 今度の連休も、前回のように1泊するつもりで計画を立て始めたのですが、冒頭に書いたとおり身内の祝い事が入ってしまい、日帰りで行ってくることに変更した次第です。

 今回の目的は、関東鉄道の今度は常総線、それから真岡鐵道です。この両線は、下館で接続しているので、一気に乗り潰すのに都合が良くなっていますし、10年ほど前の独身時代に同じような行程で乗りに行ったこともあります。ただ、私は乗り潰すこと自体が目的であるのに対し、マダムは沿線の下車を楽しみたいところがあって、それだから「少なくともいちどは途中下車」の縛りをかけているわけで、時間はだいぶかかることになります。
 さて、その途中下車駅ですが、真岡鐵道はそれほど考える余地がありません。途中に陶芸で有名な益子(ましこ)があります。マダムは食器などにも関心があるので、いちど下車するとしたらここしか無いでしょう。しかし常総線のほうは困りました。
 沿線に、史跡とか名所のたぐいが無いわけではないのですが、どれもB級C級、あるいは季節ものだったりして、ここなら、というところが見当たらないのです。あったとしても駅からはわりと離れていて、限られた途中下車時間で行ってこられるとは思えないのでした。まずは地味な路線であると言って良いと思います。
 そんな中、マダムから要望が出されました。戸頭(とがしら)に寄りたいと言うのです。戸頭には別に何もないのですが、マダムが行ってみたいというのは戸頭団地でした。団地へ行って何をするということもないのですが、昔、マダムの友達がその団地に住んでいたことがあったのだそうです。で、マダムの実家の最寄り駅である北柏から、その戸頭団地に向かうバス路線があったのですが、それにいちど乗ってみたいと考えているうちに年月が経ってしまったというのでした。マダムはその友達の家を訪ねたことはあるのですが、その時はバスを使わなかったそうです。
 それだけの理由で団地まで行ってみても、別にどうなるというものではなさそうですが、ともあれマダムのノスタルジーを誘うらしいので、一応調べてみました。しかし北柏から戸頭までバスで出てしまうと、常総線が一部欠けてしまいます。マダムは全線乗りたいとも言ったので頭を抱えました。
 北柏から戸頭へ出て、一旦起点の取手へ向かい、そこから折り返して下館へ向かうしかないでしょう。そのつもりで行程を組み立てようとし、まずは問題の路線バスの時間を検索してみました。
 ところが、どう探してもその路線が出てきません。有志が作った当該地域のバス路線図には確かに載っているのですが、時間を調べようとするとまったくひっかかからないのです。
 不思議に思って、いろいろな関連単語をキーワードにして検索しまくってみたところ、ついに、その路線が09年末に廃止されたことを記した個人ブログに行き当たりました。
 戸頭というのは守谷にほど近い場所で、05年のつくばエクスプレス(TX)の開通以来、どこかへ行く時には守谷へ出てTXに乗り換えるほうが圧倒的に便利になってしまいました。それで、北柏などという、快速も停まらない小駅から出ているバスを使う人などほとんど居なくなってしまったらしいのです。それで年々減便され続け、4年後に廃止されてしまったというわけでした。
 バス路線が無くなっていることをマダムに伝えると、もう戸頭団地への興味も失ったようで、寄らなくて良い、と言いました。
 それで白紙に戻ったわけですが、そうなるともうさほどの選択肢もありません。取手から出た大半の列車が折り返しとなる水海道(みつかいどう)で下車してみることに決めました。他の駅だと、下車が2回になってしまって効率が悪いと考えたのでした。

 休日なので京浜東北線の電車も空いていましたし、日暮里から乗った常磐線電車もがら空きでした。常磐線は勝田行きでしたが、珍しくボックスシートに坐ることができ、多少の旅行気分を味わえます。
 利根川を越えて、国電区間の終末点である取手に到着。ここで下りましたが、実は今日、JRに乗ったのはこれが最後でした。あとは帰宅までJR抜きだったのでした。
 取手駅には、常総線への連絡改札がありましたが、一旦外へ出ます。常総線全線と、真岡鐵道の下館〜益子間で何度でも乗り降りできるフリーパス「常総線・真岡鐵道線共通一日自由きっぷ」という企画切符を買い求めるためでした。益子から終点の茂木(もてぎ)まで使えないのがやや不親切で、値段もさほど割引にはなっていないのですが、しかし途中下車の時に買い直すよりは多少は安くなるようです。また、券面の端っこに、「益子焼窯元共販センター」というところで記念品が貰える引換券がついていました。土休日と、年末年始などだけ発売しているフリーパスでした。
 白いボディに赤青のラインがすっきりと入った、2輌編成の粋な列車に乗り込みます。電車と言いたいところですが、関東鉄道は電化されていません。ディーゼルカーです。常総線の、特に取手〜水海道間などは、いい加減電化したほうが得になるらしいのですが、地磁気観測所が近くにあるためそれができません。交流の電気なら構わないので、常磐線などは取手と藤代のあいだに直流と交流を切り替えるデッドセクションを設けているわけですが、交流電化すると車輌が高価になるので、関東鉄道にはそこまでの余裕は無いというところであるようです。
 取手を発車して、各駅に停車するうちに乗客が少し増えました。この路線はもともと、当然ながら起点の取手がいちばん重要な駅で、取手から遠ざかるにつれ乗客が減ってゆくというのが利用パターンだったのですが、現在は完全に守谷が中心となっています。
 それはそうでしょう。いまや守谷からつくばエクスプレスの快速電車に乗れば、秋葉原まで32分で出られるのです。常磐線の中距離電車や快速に取手から乗っても、上野までせいぜい40〜42分、特別快速でかろうじて31分です。しかしその速い特快はわずかに1時間1便しか走っておらず、毎時2便の快速に加えて2〜3便の区間快速(こちらも秋葉原まで35分)も走っているTXにはとても太刀打ちできません。かろうじて対抗できるのは運賃くらいなものです。
 だから都心へ向かおうとする人はもっぱらTX利用にシフトし、取手の地位が相対的に下がったわけです。現状では、守谷を起点として取手行きの路線と下館行きの路線が出ている、とでも考えたほうが実情に近い気がします。
 駅も、取手は1面2線に過ぎないのに対し、守谷は2面4線と常総線全線中最大の規模となりました。駅前の殷賑さも守谷が取手を上回るようになりました。乗降客数もここ数年で逆転したと思われます。
 戸頭の駅から、戸頭団地らしい建物群が見受けられましたが、あの団地の人々もやはり守谷まわりで通勤するようになったに違いありません。
 10年前に私が乗りに来た時には、まだTXが開通前でしたので、ここらあたりの変貌ぶりには眼を見張ります。

 守谷を過ぎ、さらに3駅乗ると水海道です。25駅中、取手から数えて12駅めですので、駅の数の上ではほとんど真ん中ですが、実際の営業距離ではほぼ3分の1のところ(51.1キロ中17.5キロ)に位置します。ここを境に、運転本数は半減し、線路は単線になり、取手側が2輌編成だったのが下館側は1輌だけの単行運転となります。ただし、TX開通前はきれいに運転系統が分かれていたのが、現在は単行列車の一部が守谷まで延長されるようになって、少し複雑になりました。守谷〜水海道間の便数は以前よりかなり増えたということになります。
 ここで1時間20分ほど途中下車の時間をとっていました。別にどこへ行くというあてもありません。駅の外へ出て、近隣の案内地図を見てみても、どうも行きたいほどの場所が見当たらないのでした。
 駅から400メートルあまり伸びている「駅前通り」という道路が「絵画通り」という異名を持っているようです。駅前通が突き当たった先の「宝町大通り」という道路も同じくカッコ付きで「絵画通り」と書かれています。どんな絵画か知りませんが、まあこのあたりを見物してこようと思って歩き出しました。
 と、その前に、駅の隣にある異様な建物が眼につきました。「SUPER MERCADO」と看板が出ており、ブラジルの国旗を模した表示も出ています。まだ閉まっているようですが、駅前の一等地になんでこんな建物があるのだろうかと不思議に思いました。
 あとで知ったのですが、水海道の属する常総市(2006年に水海道市が北隣の石下町と合併して発足)には日系ブラジル人が多く住んでいて、駅の近くにはブラジル銀行の支店も店を構えていました。その人たちが主に使う店なのでしょうか。それにしても駅の隣とは、好立地過ぎます。
 絵画通りのほうは、店舗などの軒先に、地元の日曜画家みたいな人たちが描いたらしきキャンバスが確かに置かれているところが多く、なるほどこの異名に偽りはないと思いましたが、明らかに駅前商店街と思われる駅前通りの閑散ぶりには溜息が出ました。確かに今日は休日であり、なおかつ朝10時という時刻ではありますが、シャッターを下ろしている店の多いこと。明らかにもう廃業しただろうと思われる店舗もいくつも見受けられました。とにかく活気というものが感じられません。平日の夕方あたりだったらもう少し賑やかになっているのか、どうもそんな気もしないのでした。
 ひとまわりしてくると、駅前のスーパーメルカードは開店していましたが、入口には日本語の表示がほとんど無く、ポルトガル語と思われる表示ばかりです。携帯電話やパソコンなどを扱っているらしいことはわかりましたが、なんとなく入りづらい雰囲気で、別の方角をもうひとまわりしてきました。ひとつには、いつの間にかあたりから香ばしい焼きたてパンの匂いが漂っていて、その匂いの元を探したいと思ったからでもありました。
 結局パンの匂いの元はわからず、駅前に戻ってくると、どう考えてもその匂いはスーパーメルカードからしてくるように思われました。それで思いきってドアを開けてみると、なんのことはない、中にはサンドイッチなどを食べさせるコーナーを含む食糧品売り場が半分以上を占めていました。輸入グッズなども多く、こういう小地方都市としては変わった雰囲気の店です。客はブラジル人だけではなく日本人ももちろん多くて、普通のスーパーマーケット(メルカードはスペイン語やポルトガル語でマーケットのこと)としても機能しているように見受けられました。
 マダムがたちまち興味を持ちましたが、次の列車の発車が迫っています。ここで1本見送ると、あとの予定がグダグダになってしまうのでした。ローカル線めぐりのつらいところです。後ろ髪を引かれる想いで店をあとにしました。
 マダムの実家のある柏市からこの水海道までは、実は直線距離ではさほど離れていないので、実家に帰った時でも彼女の父親に頼んで(というか焚きつけて)クルマで連れてきて貰ったらどうだ、と薦めました。

 11時03分の単行ディーゼルカーで水海道を出発しました。単行といえども、快速列車です。
 10年前に乗りに来た時には、まだ常総線は鈍行しか走っていませんでした。急行などを走らせたらどうだ、とその時の日誌で私は提案しています。
 私の提案が眼に止まったわけでもなんでもありませんが、つくばエクスプレスの開通に合わせて快速が走り始めました。私の予想と違い、守谷から下館側を通過運転します。取手には行かないものが多く、行ったとしてもそちらは全駅停車です。
 通過運転する守谷〜下館のあいだ、停車する駅は水海道・石下・下妻に厳選されており、41.5キロを46分で走る(表定時速54キロ)のですから、単線非電化の快速列車としてはなかなか健闘しています。1日6往復ほどしか無いのが残念ですが、2面3線を有する水海道駅と下妻駅をうまく利用して、先行列車を追い抜くなどの処理ができれば、もう少し増やせそうです。
 11時03分発の列車は、この数少ない快速のひとつなのでした。これに乗りたいというのは私の希望だったのです。
 それというのも、常総線の水海道以北というのは、車窓風景にほとんど変化がないと言って良いような区間なのです。関東平野の広漠とした田園風景の中をひたすらに走るだけで、向こうに見えている筑波山が微妙に角度を変えてゆく程度の面白さしかありません。前に鈍行で通った時、かなりうんざりしたので、ここはその後導入された快速列車で突っ走ってみたかったのでした。
 乗ってみると、快速の走りっぷりは想像以上で、水海道から下館までの37分間が、むしろ物足りなく感じてしまったほどでした。
 11時40分下館着。この駅は常総線とJR水戸線、真岡鐵道の3路線が全部同じ構内に発着しています。
 12時02分発の真岡鐵道までちょっとだけ時間があったので、一旦駅の外へ出てみました。マダムはなぜか
 「北小金の駅前に似ている」
 と言いましたが、私にはなんとも言えません。3社の鉄道が集まるジャンクションですが、駅前の町並みはさほど大規模ではないようです。
 マダムが若干小腹がすいた様子なので、駅前ロータリーの角にあった和菓子屋で簡単な食べ物を入手し、再び改札を通りました。駅舎に面したプラットフォームの片端を切り欠いた、JR同士なら0番線とでも呼ばれそうな乗り場に、真岡鐵道の緑色のかわいらしい車輌が停まっていました。

(2013.10.14.)

II

 前夜のなごりの頭痛を抱えながら、関東鉄道常総線真岡鐵道を乗り潰しに出かけたわけですが、途中日暮里での京浜東北線から常磐線への乗り換えでは、まだ確かにしんどさが残っていて、階段を昇らずにエレベーターを使ったものです。
 しかし、取手での常総線への乗り換えの時には、すでに気分の悪さは無くなっていました。まったく現金なものですが、私はわずかでも列車に乗って旅に出かけると(同じ列車でも、京浜東北線や山手線埼京線なんかだとダメですが)、多少の心身の不調は吹き飛んでしまう体質なのでした。
 従来も、どうも気分がすぐれないという時にふらりと列車に乗りに行ってきたらすっかり良くなったということが何度もあります。
 体調が悪い時は旅など取りやめて大事をとるというのが普通の人の行動でしょうが、私に関してはあてはまらないようです。さすがに熱が出ていたりしたら無理かもしれませんが、少々の不調は、むしろ列車に乗ることで癒されるのでした。
 さて、水海道(みつかいどう)で謎の「スーパーメルカード」を見たりしつつ、常総線を踏破して下館に到着し、そこから真岡鐵道のディーゼルカーに乗り換えました。

 真岡鐵道は蒸気機関車の運転で有名です。
 秩父鉄道大井川鐵道など、「SL急行」というのを走らせている鉄道もありますし、JR東日本でも「みなかみ号」などを臨時で走らせていますが、ひとつ問題があります。それは、それらの運転区間が、いずれも電化された区間であるということです。そのため、例えば映画やドラマの撮影などで蒸気機関車を映そうとする場合、架線が邪魔になってしまうのです。映画やドラマで蒸気機関車が必要なのは、たいてい時代が明治とか昭和初期とか、そういう設定になっていることが多いため、架線が映り込むとおかしいわけです。
 だから、そういう映像を撮りたい場合は、真岡鐵道が使われます。もちろん観光SL列車の運転の嚆矢となった山口線(JR西日本)などの路線もありますが、東京のスタジオからはいかんせん遠すぎて不便なのでした。近場で、蒸気機関車が走っていて、非電化という条件を満たすところは真岡鐵道しかありません。
 撮影用だけではなく、一般客向けに「SLもおか号」を土休日中心に1往復走らせています。14日は休日ですし、時間が合えば乗ってみようかとも思ったのですが、残念ながら下館発が10時36分で、乗ることはできませんでした。それでも線路上のどこかには居るわけで、行き会うことがあるかもしれないと考えましたけれども、ちょうど入れ違いになってしまったようで、目撃もできませんでした。前回乗りに来た10年前の時は平日だったので、蒸気機関車は真岡(もおか)駅構内に滞在しており、しかも私が乗ったディーゼルカーが真岡駅に着くと大音量で汽笛を鳴らしたので、飛び上がりそうになったのを憶えています。
 しかし、その真岡駅は、駅舎そのものが蒸気機関車を模した、凝った造りになっています。真岡市自体が、「SLの街」を標榜して、街の中に蒸気機関車にまつわるいろんな展示やらアトラクションやらを設置していると聞きますので、いちど下りてみたいところではあります。今回も、益子(ましこ)の他に真岡で下車できないかとスケジュールをいじってみたのですが、どうもうまくゆかなかったのでした。
 12時43分、益子に到着します。真岡鐵道沿線の観光資源としてはいちばん大きなところだと思いますが、駅そのものは片面だけのこぢんまりしたものです。
 「常総線・真岡鐵道線共通一日自由きっぷ」についていた記念品引換券を使える「益子焼窯元共販センター」を中心とした陶芸村は、駅から2キロ近く離れているので、益子駅でレンタサイクルを借りるつもりでした。真岡鐵道のサイトによると、駅に10台ほどの自転車が用意されているはずです。
 ところが、改札口の隣に自転車のラックが並んでいたものの、ほとんど空でした。2台だけ残っていたので、駅事務室のおばさんに
 「あれは借りられるの?」
 と訊いてみたら、
 「こっちの1台はいま充電中だから(最近はやりの電動自転車でした)、もうしばらくは無理ですねえ。あっちのは調子が悪くて、あれを貸したら怒られちゃいそうなんで……」
 と言葉を濁らせました。夏に那珂湊ではるかにヤバそうな自転車を借りたことがありますが、貸出料がだいぶ違うので(那珂湊は2時間まで100円、益子は400円)貸す側の責任も大きくなるのでしょう。そこをおして使わせて貰うとしても、1台では仕方がありません。諦めて歩くことにしました。
 駅で貰った案内図を見ながら歩きます。ランドマークは適切に記してありますが、縮尺や道の曲がりかたなどはいい加減なので、いまひとつ距離感がつかめません。一方マダムは私のうしろを、飲食店ガイドの紙を眺めながら歩いています。下館で煎餅やドーナツを買って車内で食べ、小腹は満たしたと思うのですが、もうだいぶ空腹であったようです。ここが美味しそう、こっちで食べたらどうだ、とやかましく言いつのっていますが、食堂というのは行ってみないと雰囲気がよくわからないものです。混みかたも予想がつきません。ひとところにあらかじめ決めてしまうより、漠然といくつか候補にしておいて、行ってみて決めるというのが良いように思えます。

 1キロほど歩くと城内坂という交差点があり、その先のスロープからが陶芸村になるようです。窯元や陶器販売店が蜿蜒と軒を連ねていました。
 前に陶芸家の知人に聞いたのですが、益子焼というはっきりした焼き物のスタイルというものは存在しないんだそうです。有田焼とか伊万里焼とか萩焼とか、そういうのはある決まった伝統的な製法があって、それに則った焼きかたをしたものを指すわけですが、益子というのは古来の陶芸の地というわけではなくて、なんとなく全国から陶芸家が集まってきて陶芸村を作ったという場所なのでした。たぶん土とか水とかが適していたのでしょう。だから益子焼という言葉には、益子で作られた陶器という以上の意味は無く、製法もスタイルも「なんでもあり」なのが、逆に陶芸の里としての繁華さを呼んでいるとも言えそうです。ここの「窯元共販センター」は日本最大の陶器販売店だそうです。
 駅に下りた人はそう多くなかったし、途中の道でも観光客はそんなにたくさん見かけなかったのですが、陶芸村に入るとかなりごった返していました。ほとんどの観光客はクルマで訪れるのでしょう。昼食は、結局マダムが最初に目をつけていたカレーの店で食べましたが、すぐに坐れるかどうか心配になるほどの人の入りでした。
 焼き野菜がふんだんに乗ったカレーもおいしかったのですが、さすがに陶芸の里、器に味があります。この店は何軒かの販売店や陶芸教室などを営んでいるわりと大きな窯元が併設しているもので、器もみんな自家製なのでしょう。マダムは眼を輝かせていました。
 そのあと共販センターに行って、何か良い器があれば買おうかと思ったのですが、どれも予想より高いようです。今回の旅の直前、マダムが家で、けっこう気に入っていた皿を一枚割ってしまって、その補充という意味もあったのですけれども、どうも値段に釣り合わない感じなのでした。
 それで、そこでは記念品を貰うだけにしました。小型の湯呑みをひとつずつ貰いました。
 センターから道をはさんだ反対側の空き地に、露店のテントがいくつも並んでいました。安い掘り出し物みたいなものはそちらのほうがありそうだと思ったので、「日本最大」の共販センターをあっさりと振り切りました。
 予想どおり、露店のほうが手頃な値段になっていました。こちらで嬉しいのは「ちょっと難あり」の品を格安で売っていたりすることで、3枚ひと組500円とか1000円とか、たいへんお得感があります。難ありと言っても、釉薬がちょっとかかりきらなかったとかその程度で、それもまた意匠と見れば、使う分にはほとんど気になりません。マダムはたっぷり時間をかけて、合計2000円で7枚の皿を入手しました。ふたりともリュックザックで来ていたので助かりました。軽からぬ陶器を手に持って歩くのはしんどいし、振り回してどこかにぶつけてしまう危険も高くなります。
 それにしても品選びに時間がかかりすぎて、列車の時刻まで余裕がなくなってきました。徒歩で来ていますので、移動時間も計算に入れなければなりません。マダムをせかして、早足で戻りました。往路は30分ばかりかかったと思いますが、復路は20分ほどで歩ききりました。

 ところが、ここで私の沽券に関わるようなミスを犯してしまっていました。
 プリントアウトして持ってきた行程表には、15時30分の茂木(もてぎ)行き列車に乗るように書いてあったのですが、プラットフォームに入ってベンチに坐り、しばらくくつろいで居て、ふと気づくともう15時35分です。30分の列車はどうしたのかといぶかしく思い、改札脇の発車時刻表を確認したところ、なんと15時30分などという列車は存在しないのでした。15時台の列車は、19分と46分しかありません。
 どうして行程表に15時30分発などと書いてしまったのか、しばらく茫然としました。
 もくろみとしては、茂木発16時ちょうどの東野交通バスに乗って宇都宮に抜けるつもりでした。このバス、かつてはもっと便数があったはずなのですが、現在は土休日ではわずか3便しかなくなってしまい、その最後の便が16時だったのです。従って、これに乗りそこねると、行程そのものを大幅に変改しなくてはなりません。
 数分考えて、ようやく間違えた経緯の納得がゆきました。16時30分という列車はあったのです。
 真岡にいちど下車して、それから益子に来ようと思った、という話は上に書きましたが、その時に、パソコンのメモ帳で作っていた行程表の、下館以下の時刻を全部書き直したのです。それで「益子 16時30分発」と記したのでした。
 それでは茂木からのバスに乗れないということがわかって、数字を元に戻したのでしたが、その時に益子の発時刻を機械的に1時間前倒ししてしまったのです。着時刻がちょうど1時間ずれていたことによる錯覚でした。つまり、実際には12時43分に着いた益子に、真岡下車プランでは13時43分に着くことになっており、真岡下車を取りやめて「13:43」を「12:43」に戻した際、並べて書いてあった「16:30」を「15:30」に書き換えてしまったというお粗末だったのでした。
 それでいて茂木には、真岡下車プランを立てる前の着時刻「15:45」をそのまま書いてありました。益子から茂木まで16.8キロを、単線非電化貧弱線路の真岡線ディーゼルカーが、15時30分から45分までの15分ばかりで踏破できるわけがないと、そこを疑うべきだったのですが、まるで気がつかなかったのです。
 列車は15時46分にダイヤどおり到着しました。当然ながら16時などには茂木に着けません。茂木着は16時15分となりました。茂木に予定どおり着くためには、15時19分の便に乗らなければならなかったわけです。陶芸村から急ぎ足で駅へ帰ってきたのが確か15時20分くらいで、まさにタッチの差で逃してしまっていたのでした。
 こうなっては仕方がありません。マダムはやはり終点まで踏破したいと言うので、茂木まで乗りました。ここは「常総線・真岡鐵道線共通一日自由きっぷ」の適用範囲外ですので、普通に切符を買わなければなりません。
 茂木駅に着いてみても、どうにもなりません。1日3便の宇都宮行きバス(平日は5便ありますが)以外、どこへ向かうバスの停留所も駅前には存在していません。どん詰まりのような場所です。地形的にも、関東平野が尽きて山が迫ってきている、どん詰まりの場所なのです。
 16時28分折り返しの同じディーゼルカーで、来た道を引き返すしか手はないのでした。

 ところで、引き返してどうするかです。宇都宮へ出て夕食に餃子を食べる予定にしてあり、マダムの頭の中では「餃子」がすでに強固な固定観念になってしまっていたようで、なんとしても宇都宮に行きたいと言います。
 普通に考えると、このまま下館まで、真岡鐵道の全線を引き返し、JR水戸線に乗り換え、小山に出て東北線に乗り換えれば宇都宮に行けます。ただし、時刻表を調べてみるとずいぶんと時間がかかるようで、宇都宮着は19時を過ぎてしまいます。真岡鐵道と水戸線、水戸線と東北線のいずれの接続もあまり便利ではありません。
 もっと手はないかと、折り返しの列車の中で必死で時刻表のページを繰り続けました。実は、急遽予定を立て直すという作業、嫌いではありません。
 ふと思いついたのが、益子から宇都宮というバス路線があるのではないかということでした。同じ栃木県内で、有名な観光地です。県庁所在地から直通のバス路線くらいあっても不思議ではありません。
 調べてみると、「ビンゴ」でした。しかもいま乗っている折り返しの便が益子に着いて、わずか7分後にそのバスが発車するようです。絶妙なタイミングです。
 ホッとしたところで車窓を見れば、秋の夕陽が雑木林や田園に照り映えて、実に美しい景色になっていました。別に勇壮な渓谷も峻険な山容も無く、ただの平凡な田園風景でしかありませんが、それがなんだか胸に染み入るようでした。益子から茂木まで、線路にずいぶんな傾斜がついていたことにも気づきました。列車に乗っていると、登り坂よりも下り坂のほうが傾斜がよくわかるようです。
 益子駅の改札のおばさんは、どうも私たちのことを憶えていたようで、戻ってきたことに若干驚いていた様子でした。
 改札のすぐ外にバス停が立っています。確かに東武宇都宮駅行き(もちろんJR駅も通る)のバスが間もなく来るようです。秋葉原から益子までの直行高速バスがあることもそのバス停の表示で知りました。
 「こんどまた絶対、秋葉原からのバスに乗ってひとりで来よう」
 と、マダムが決意表明をおこないました。
 バス停にはもうひとつ、見逃せない表示がされていました。

 ──JR宇都宮駅まで1100円 お得なバスカード(1000円)1枚で乗れます 益子タクシーで販売

 見まわしてみると、道路の向かい側に「益子タクシー」と看板を上げた営業所があります。バスが来るまであと5分ですが、私は急いでその営業所に走りました。
 営業所の奥は普通の茶の間のようになっていて、何やら休日夕方の家族団欒をしている雰囲気でしたが、私は構わず引き戸を開け、
 「バスカードってここで買えるんですよね」
 と声をかけました。
 ご主人が私の応対をしているあいだに、奥さんらしき人がカードを出してきました。本当に、1000円で買って1100円分乗れるバスカードでした。10%とは、ずいぶんとプレミアが大きいものです。以前、南関東のバス共通で使えるバスカードがあって、その5000円券というのは850円、つまり17%もの破格のプレミアがついていて、相当に使いでがありましたが、1000円券にはほとんどプレミアが無かったのではないかと思います。
 ともかくカードのおかげで、200円安く宇都宮へ行けることになりました。

 バスは駅前を出ると、さきほど私たちが歩いた道をそのまま通り、陶芸村の中を突っ切りました。むしろ先に茂木まで往復してから陶芸村へ行き、このバスが通るのをそこで待てば時間が有効活用できたのではないか……と、少し反省しましたが、まあ凡ミスの結果こうなってしまったのだから仕方がありません。
 私たちは共販センターまでしか行きませんでしたが、その先にも陶芸村はしばらく続いていて、バスはその中をだいたい一巡してから益子をあとにしました。やがて、秋の陽がつるべ落としに落ちて、見る間に暗くなってきました。まだ18時というのに、闇を裂いて走っているような趣きです。
 少し疲れていたようで、うとうととしました。途中眼が醒めたりまた眠ったり、気づいてみるともう宇都宮は近いようでした。時刻表の上では約1時間の行程ですが、宇都宮市街に入ってから少し道が混んでいて、到着は10分ばかり遅れました。
 宇都宮駅ビル内の「餃子小町」というエリアに入っている店のひとつに入りました。マダムは「焼き・揚げ・水」のいわば「フルコース」を食べるのが好きなのですが、その店は「焼き・揚げ・水」の他にさらに「フライ餃子」なるものがあり、その4種をセットにしたメニューもあったので、迷わずそれを注文しました。店内では、お笑いコンビのU字工事栃木県観光大使でもある)が出演している店のプロモーションビデオを、蜿蜒とエンドレスで流していました。

 宇都宮からJRでそのまま帰っても良かったのですが、今回乗った私鉄がわずか2線であることが少々物足りなくもあり、この際「JRを一切使わずに帰る」というミッションをこなそうと思ってマダムに訊いてみると、面白そうだというので、駅前からバスに乗って東武宇都宮へ移動しました。JR宇都宮と東武宇都宮は、歩けない距離ではないし、実際私も歩いたことはあるのですが、夜にあやふやな土地感覚で歩くにはちょっと遠いのです。
 東武宇都宮駅入口というバス停で下りると、さっき餃子を食べた店の別店舗が近くにあったので、益子からのバスで直接こちらへ乗りつけても良かったかと思いましたが、これもまたあと知恵というものでしょう。
 東武宇都宮から草加まで東武鉄道で乗り継ぎ、草加から家の近くのバス停までバスに乗って帰ろうというプランです。東武は「ローカル私鉄」ではありませんが、私鉄に違いはありません。草加からのバスの便があることは確認しておきました。
 前にもちょっと書いたことがありますが、東武は宇都宮線にもう少し力を入れるべきだと思っています。1往復だけ特急(以前は急行)「しもつけ」を走らせてお茶を濁すのは、もうこの四半世紀変わっていない扱いで、そろそろ見直したほうがよろしい。スカイツリーが完成し、野田線の近代化が一段落ついたら、東武にはぜひ宇都宮線の改良に乗り出していただきたいものです。
 現在は全区間単線で、ほとんど線内列車が往復しているだけです。日光線との分岐駅である新栃木発着だったのが、JR両毛線から直接乗り換えられる栃木発着になった程度の改良しかしていません。まずは早急に複線化し、快速電車を直行させるべきです。
 東武の快速は、今は東上線にも走っていますが、長らく日光・鬼怒川方面専用の種別でした。野岩鉄道・会津鉄道に乗り入れ、会津田島までの長距離を走っているのは立派だと思いますが、そろそろその役目は特急に譲って良い頃です。特急の停車駅も増えたことだし、途中駅の乗客を拾って日光や鬼怒川・会津方面へ向かうという快速の元来の役割はほぼ終わったと考えるべきでしょう。実際利用者が減って、大半の便を区間快速に格下げしなければならなかったわけですし。
 この際、特急と競合する日光・鬼怒川方面はすっぱりと諦め、快速は宇都宮とのアクセスを主目的とする種別に切り替えれば良いというのが私の提案です。意外と不便な、松戸など常磐線沿線から宇都宮への移動が非常に楽になります。JR利用から切り替える人もずいぶん出ることでしょう。
 現在の宇都宮線は27.3キロを40分もかけてノロノロと走り、駅に着けば対向電車待ちを繰り返し、とても幹線とは言えません。北関東随一の都市である宇都宮に通じる路線を、こんなに貧弱なままにしておくのは東武の怠慢と言えるでしょう。
 ……などと妄想を繰り広げているうちに、電車はノロノロ走って栃木に到着しました。ここからも直通はできません。最近はほとんどの運行が、途中の南栗橋で分断されるようになってしまいました。メトロ半蔵門線などから直通してくる10輌編成の電車では、南栗橋以北を走っても輸送力過剰なので、ここで短編成の電車に切り替えるという理窟はわかるのですが、通して乗ろうとすると乗り換えがどうにも面倒です。
 南栗橋で待っていたのは、中央林間まで92.6キロを走り続ける東急車の急行でした。むしろ他社とのほうが便が良くなっているようです。
 以上、東武電車からの車窓はもちろんずっと闇の中で、別に面白くもなんともなかったのですが、マダムは意外にも、
 「あのまんま『ラビット』に乗って帰ってくるよりずっと楽しかった」
 と述懐しました。「ラビット」は東北線の快速電車の愛称です。マダムも、「乗っているだけで楽しい」という鉄の境地に近づいてきたようです。私の影響なのか、もとからの資質なのか。
 益子で陶器をたくさん買ったこともあって、マダムは帰宅途中や帰宅後もご満悦でした。夫婦円満の媒介になるのであれば言うことはありません。またいずれ「少なくとも1回は途中下車」のローカル私鉄の旅をやりたいと思います。

(2013.10.15.)


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