今年も青春18きっぷが1枠余っていました。先日の墓参行のときに、かろうじて元はとっていたものの、あまり充分に活用した気がしなかったので、最後の1枠でまたできるだけ長距離を乗り倒してやろうと思いました。 3年前、「日帰り大周遊」と称して、新潟県から福島県までまわって1日で帰ってくるということをやりましたが、同じようにできるだけ長距離を乗るということになると、残っているのは飯田線くらいでしょうか。3年前も飯田線に乗ってくるルートを検討したのですが、帰りが非常に遅くなるようだったのでそのときは断念したのでした。 飯田線は東海道の豊橋と長野県の辰野を結ぶ、195.7キロの長いローカル線です。ひとつながりになっていた4つの私鉄、豊川鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道・伊那電気鉄道を戦時買収で一気に国鉄が入手したのでした。もとが私鉄であることもあって、ローカル線なのに最初から電化されていました。また、駅間距離がやたらと短い(平均2.1キロ)のも私鉄ならではでしょう。山間部はそれなりに駅間距離もあるので、平野部に限って言うと本当にちょっと走っては停まるという印象です。 駅数が多いので、特に鈍行に乗るとなかなかはかがゆきません。195.7キロという距離は、幹線系、たとえば東海道線で言えば東京から焼津くらいなもので、鈍行でも3時間ちょっとで走れるのですが、飯田線の鈍行は、全線を走りきるのに6時間半くらいかかります。昔は「7時間」と言われていたのですから多少のスピードアップはしたようですが、それも上下線の行き違いを合理化したくらいのことであって、電車そのものが速くなったわけではないでしょう。94も駅があるので、減速・停車・発車・加速のシークエンスだけでも2時間くらい必要と思われます。 列車の走行区間がやたらと短くちょん切られることの相次ぐご時世ですが、飯田線に関しては、嬉しいことに全線を踏破してくれる鈍行列車が3往復も残っています。 飯田線は数回乗りつぶしたことがありますが、いずれも途中で乗り換えており、1本の電車で乗り通したことはありませんでした。また、毎回夜にかかってしまっていて、全線を明るいうちに通ったということもなかったのです。 いつか、明るいうちに全線直通の電車に乗るという体験をしてみたいと思っていました。飯田線そのものも満喫したいし、何よりいまや7時間近く1本の鈍行列車に乗り続けられるなどというところは他にはほとんどありません。どこへ行っても、2時間も乗れば終点に着いてしまって乗り換えを余儀なくされます。 3往復と言っても、全行程を明るいうちに走るのは1往復だけです。豊橋発10時42分・岡谷着17時33分の下り519M、上諏訪発9時22分・豊橋着16時16分の上り544Mです。このどちらかを中心に据えて、前後の行程を決めなければなりません。 まず東海道線から入るルートで計画を立ててみました。豊橋に10時42分までに到着するのはなかなか大変で、東京を初電(5時20分発)で出なければならず、それに乗るためには川口も初電の京浜東北線(4時38分)で出ないと間に合わないことがわかりました。数字上では次の4時48分でも間に合うのですが、東京駅での乗り換えが3分しか無く、ちょっと心許ないのでした。 それはまあ早起きを頑張るとして、帰り道である中央線が、鈍行を乗り継ごうとするとなんだか接続があまり良くなく、帰宅が23時半くらいになりそうでした。 岡谷から帰ってくるのに6時間近くかかるというのもべらぼうな話ですが、最近の中央線鈍行は、どういうわけだか大半がロングシート車輌になっているので、それも二の足を踏みます。空いている昼間ならまだましなのですが、夜になってロングシート車輌に乗り、それがまた混んだりすると、山手線や京浜東北線にひたすら乗り続けているような気分になってきて、旅の愉しみどころかストレスさえ感じるのでした。何が悲しくてそんな想いをしなければならないのかと考えると、このルートは好ましくないように思えてきました。 そこで、逆回りを考えてみました。すると、中央線には早朝に八王子発松本行きという長距離の鈍行があり、それに乗れば飯田線の544Mに接続することがわかりました。この列車に乗るためには、川口駅は5時13分で良く、東海道線から入るルートに較べると30分以上余裕ができます。 しかも豊橋からの帰り道も、わりに走行区間が長く乗り換えの手間を節約できる電車がうまくつながり、熱海からは快速アクティーからの上野東京ラインに乗り継いで赤羽まで直行でき、帰宅時間も22時半と、1時間くらい早くなることがわかりました。もうこれしかないでしょ、と心をはずませて行程表を作成しました。 2020年8月31日の朝、4時ちょっと前に眼が醒めたので、そのまま起きていることにしました。5時に家を出れば充分です。上厠を済ませてゆこうとトイレに入ったものの、こんな時間ではまだ出ません。今回は本当に乗り継ぎに余裕が無く、食事時間すらほとんどとっていませんので、途中で催したら列車のトイレということになりそうです。少々気が重くなりました。 家を出ると、さすがに空気はひんやりとしていましたが、湿気はあるようであまりさわやかな感じではありません。道路にはすでに行き交う人がちらほらと見えました。 最後の熱海からの電車ではグリーン席に乗ろうと思うので、SUICAにその分の千円をチャージしてから、改札を通りました。青春18きっぷなので、有人窓口で印を捺して貰います。プラットフォームにはすでにたくさんの人が待っていました。 5時13分、北行の電車に乗り、南浦和で武蔵野線に乗り換えます。早朝のせいか、南浦和ではかなり長い時間停まっていました。武蔵野線の電車はそこそこ乗っており、立っている人もけっこう居ました。みんな早くから動きはじめているんだなあと感心します。 西国分寺で高尾行き電車に乗り換えます。ようやく6時になりました。 そして八王子で下車し、6時35分の松本行き429Mを待ちます。ここは20分ばかり待ち時間があり、実を言うと川口からして次の電車(5時30分)でも間に合ったのですが、念のために余裕時分を確保しておいたのでした。実際、タオルを忘れて出てきたことに気づき、ここの駅コンビニに買いに行ったりしなければならなかったので、余裕を見ておいて良かったと思います。 4番線で待っていると、もう1本高尾行きが出て、そのあとに429Mが入線するようでしたが、待っている客の大半は429M狙いだったようで、高尾行き電車に乗る人はあまり居ませんでした。この調子だと、429Mもそこそこ混むかもしれません。高尾で乗り継ぐことにしていたりしたら、坐れないというほどのことはないにしても、あまり良いポジションがとれなかったかもしれません。 それはそうと、隣の3番線に特急の車輌が停車していました。ただ停めてあるだけかと思ったら、6時48分発の「はちおうじ4号」という特急が発車を待っていたのでした。鉄道雑誌をとっていないし、鉄道趣味サイトもそんなにチェックするほうではないので、こんな特急ができていたことをまったく知りませんでした。あわてて持ってきていた時刻表を見てみると、通常のページには出ておらず、特設コーナーみたいなところにまとめて掲載されていました。通勤に特化した特急で、「おうめ」というのもできていたようです。どうも、前に走っていた「中央ライナー」「青梅ライナー」が特急に格上げされた様子です。立川と新宿だけの停車で東京まで走るようですが、こんな近距離で特急が走るようになるとは、と茫然とする想いでした。あとで調べると格上げされたのは去年の3月だったようで、ライナーの整理券を特急券に値上げしても客は減らないと判断したのでしょう。また「あずさ」や「かいじ」の間合い運用でもあるのでしょうが、ともかくいまさらながら、特急の格も落ちたものだとため息しきりでした。 さて429Mの入線です。私は1輌めのうしろの扉のところで待っていたのですが、列車が入線して扉が開くや否や、一緒に待っていた少年がすごい勢いでダッシュし、トイレ脇にひとつだけある2人掛けのクロスシートに坐りました。429Mは思ったとおり、全6輌のすべてがロングシートになったしょぼい電車ですが、1輌めと6輌めにあるトイレの脇だけはクロスシートになっています。私もそれは知っていて、前に坐ったことがあるのですが、トイレのせいで片側の景色が見えないのはともかくとしても、長い距離になるとトイレの使用者が増えて、だんだん臭気が洩れ出してくるので閉口しました。そのときは遠足の子供たちなども乗っていてだいぶ混んでいたせいもあるでしょうが、だからクロスシートといえどもあんまりそこには坐りたくありません。 ロングシートのいちばん隅に陣取りました。シートの端のところは素通しでなく、扉ぎわに立っている人と接触しないようにアクリルの壁が設置されていたので、この位置であればうしろと横の2方向を塞がれているようでやや落ち着きます。混んでいるときは無理ですが、斜めに腰掛けるようにすれば半分クロスシートのような気分にもなれるのでした。 乗客は少なくありませんでしたが、まあ私が斜めに腰掛け、その横にバッグを置いても、白い眼で見られることはない程度の乗車率でした。 岡谷着は9時43分、飯田線の直通電車ほどではありませんが、429Mもけっこう長時間走行をする列車です。3年前の大周遊のときも、3時間以上も1本の列車に乗り続けることはありませんでした。 大月でだいぶ入れ替わりましたが、乗車率は同じくらいです。そう思っていたのですが、7時49分の塩山でどっと乗ってきました。中高生がほとんどのようです。甲府附近では、時間帯的に通学電車として機能するのだということに思い当たり、やられたと思いました。8月31日ですから、普通の年だと学校は夏休み最終日で、こんなに通学生は居ないはずですが、コロナ禍のために1学期の授業がめちゃくちゃになり、どこの学校でも夏休みを短縮して対処しています。先週くらいから2学期のはじまった学校が多いでしょう。 生徒たちは、甲府の手前の酒折でどっと下りていきましたが、その辺に学校があるようです。 甲府を過ぎると電車は空き、明るい甲斐路を快走します。標高も上がってきたので、空気も涼しくなってきました。 小淵沢より先はずいぶん久しぶりです。日野春で「あずさ1号」に抜かれましたが、それ以外に特急に追い越されることもなく、甲府以外では長時間停車はほとんどありません。上諏訪で4分停車があり、その理由が 「列車行き違いのため」 とアナウンスされたので、ええっと思いました。行き違いのための待機は単線区間に限られ、複線区間ではあり得ません。時刻表を調べると、確かに「あずさ16号」との行き違いがおこなわれています。中央本線などすべて複線になっているはずだと思い込んでいて、上諏訪以遠が単線のままであったことに私は気づかなかったのでした。 とはいえ、塩尻とのあいだに敷かれたいわゆる塩嶺トンネルルートのほうは複線で、現在はほとんどの列車がそちらを通りますから、単線区間は上諏訪〜岡谷だけということになります。429Mももちろん塩嶺ルートを通ります。 ちょっと思い立って、429Mにそのまま塩尻まで乗って、中央西線に乗ってみたらどうだろうか、と思い、調べてみました。中央西線も木曽谷の情緒が深く、しかも名古屋に着くかなりギリギリまで渓谷美を愉しめる路線です。走破するのに飯田線ほどの時間はかかりません。青春18きっぷの消化試合の候補として考えたことがありませんでしたが、案外うまく回れるのではないかと考えたのでした。 思ったとおりで、塩尻から名古屋へ抜けても、帰宅時間は大差ないというか、むしろ早いくらいで、なんなら名古屋で一憩しても良いくらいだということがわかりました。名古屋から豊橋までが、JR東海ご自慢の高速の快速電車であるおかげでしょう。次回はこのルートにしてもいいな、と思いました。 岡谷に着くと、544Mはすでに隣のプラットフォームに待っていました。544Mは上諏訪始発なのですが、上諏訪で乗り換えるわけにはゆきません。429Mよりも先に上諏訪を出て、岡谷で待って、乗り継ぎ客を収容してすぐ発車するというダイヤなのです。 嬉しいことに、544Mは転換クロスシート車輌です。東海道線快速などのお下がりでしょう。これに限らず、JR東海の飯田線車輌はみんなクロスシートのようで、JR東日本所属の「みすず」などはロングシートなのでした。 喜んで乗り込みましたが、気になることがあります。行き先表示が豊橋ではなく「平岡」となっているのです。 車内アナウンスでも「平岡行き」と言っています。そして、それに続いて驚愕の事実を語るのでした。 先月の豪雨のとき、土砂崩れがあり、飯田線は平岡と水窪(みさくぼ)のあいだが不通になってしまっていたのです。 かつての飯田線は「雨で不通」が対句のようになっていた、と宮脇俊三さんがどこかで書いていました。水量の多い天竜川に沿って、崖に張りつくようにして走る区間があるので、強い雨が降ると容易に不通になってしまっていたのです。しかし、佐久間ダムほか多くのダムが設置されて、そういうことも無くなっていたはずです。まさか今になって「飯田線は雨で不通」を体験することになるとは。 いや全然気がつきませんでした。鉄道好きなわりに鉄道情報の入手をサボっているつけが廻ってきた気がします。JR東海内のこととて、JR東日本管内のお知らせでも、飯田線不通については見た憶えがありません。さっき乗っていた429Mの車内アナウンスですら触れられていませんでした。たぶんJR東海のホームページでも見なければ知ることができなかったでしょう。 長年鉄道旅行をしていて、こんな無様な経験ははじめてです。 平岡は、豊橋から93.8キロ、辰野から101.9キロ、飯田線のほぼ真ん中くらいにあたる駅です。水窪はそこから20キロばかり豊橋寄りです。現在、平岡〜水窪間は代行バスも運行されておらず、豊橋方面へ向かう手段はまったく無いということを、車内アナウンスでも何度も強調していました。 さて、どうするか。飯田線は両端以外に他の路線と接している駅はひとつも無く、逃げ道が全然ありません。飯田線に乗れば乗っただけ、ただただ同じ道を帰ってくるしかないわけです。どうもそれは物憂いものがあります。 ふと思い立ったのは、予定を変更して、先ほどちょっと検討した中央西線ルートに行ってはどうかということでした。このリカバーはなるべく早くおこなわなければならないので、あわてて時刻表を繰りました。544Mは辰野まで中央線の旧線を通って飯田線に入ります。辰野から塩尻に抜ける旧線もまだ活きてはいるので、辰野到着までに意志を決めればなんとかなるかもしれない…… しかし、辰野から塩尻に抜ける列車というのは、いまや数えるほどで、1時間以上待たないと乗り継げないことが判明しました。むしろ飯田線の対向列車に乗って岡谷に戻ったほうが良いようです。それで調べてみましたが、やっぱり乗り継ぎに1時間くらい要し、しかもどちらにしても塩尻での乗り継ぎが遅くなります。塩尻から中央西線方面への鈍行列車は、10時54分の次は13時08分まで無く、429Mがすでに行ってしまった以上、10時54分の便には乗れません。13時08分では、さすがに帰宅が午前様となってしまいます。 というわけで、この予定変更は無し。 とすれば、飯田線に適当なところまで乗って、折り返してくるしかありません。いっそ飯田か駒ヶ根あたりから高速バスで帰るかな。お金はかかってしまいますが。 そうしてみれば、やはり「飯田線を乗り倒す」のが今回の目的であったことが思い返され、行けるところ、つまり平岡まで行って引き返すのが良いだろうと考え直しました。実は平岡まで行って、20分足らず待てば、下りの全線踏破鈍行であり、最初に検討したところの519Mに乗れるのです。現在は平岡で折り返し運転をしているわけですから、当然ながら544Mがそのまま折り返して519Mになるのでしょう。この坐り心地の良いクロスシートなら、帰りは眠って行けるでしょうから、折り返すのも悪くはありません。 ただし折り返してからの中央線の接続は、上に書いたとおり良くないので、岡谷からの高速バスに乗ることにしようか、と考えました。 平岡までは3時間40分、当初の6時間半に較べるとだいぶ減りますが、まあ半分強で、それなりに長時間ではあります。ゆったり過ごしてこようと思います。 ところが、それもまたうまくゆかないのでした。乗ったときは平岡行きであったはずの電車が、途中でなぜか駒ヶ根止まりとなってしまい、先へ行く場合は乗り換えるようにという案内が流れたのでした。どうも、列車司令室のほうも混乱していたと思われます。それにしても豪雨災害からもう1ヶ月以上経っているのに、この混乱ぶりはいかがなものかとも思いますが。 駒ヶ根で乗り換えた列車も、転換クロスシートではあったものの、坐り心地など若干グレードが下がった感じでした。少々残念。 先走りましたが、塩嶺新線開業以来すっかりさびれて、何やら時代を感じさせるようになった辰野駅を出て飯田線に入った頃には、私もほぼ腹を据えて、飯田線半分往復を愉しむ気になっていました。実際には半分よりもう少し向こうなので、通り抜けるよりも距離は長くなります。 辰野を出てしばらくは、私鉄由来らしく、ごくしばしば停車します。10個めの伊那市まででまだ17.7キロしかないということで、駅間距離の短さも知れるでしょう。33個めの飯田まででも66.4キロしかありません。 辰野を出て42個めの駅、天竜峡までが旧伊那電気鉄道による敷設です。ここまでは昭和2年に開通しています。伊那谷と呼ばれますが、そのあたりまでは河岸平野が広々として、人家も耕地も多く、イメージとしては郊外鉄道の趣きがあります。上毛電鉄の長いヤツ、と言ってもさほどの誤差は無さそうです。 天竜峡の先三河川合までが三信鉄道の敷設で、ここが難工事でした。開通は昭和12年です。 実際、天竜峡を過ぎてからは、別の路線ではないかと思われるような車窓となりました。谷の幅がぐっと狭まり、川面がすぐ眼下に広がるようになります。線路は崖っぷちに沿い、トンネルもやたらと多くなりました。駅間距離も倍くらいになります。金野(きんの)や田本など、なんのためにここに駅があるのだろうかと疑わしくなるくらい、周りには何も見当たりません。駅からの出口は山道のようなのが1本あるだけで、そこから人里に出るまでにどのくらい歩かなければならないのだろうと不思議に思われます。 少し谷の幅が拡がったところには集落があり、門島(かどしま)や温田(ぬくた)などの駅が設けられています。平岡はその中でもいちばん大きいくらいの集落なのでした。 この三信鉄道区間の車窓は、豪壮にして幽邃、素晴らしい渓谷美にしばしば息を呑みました。良い景色だと思うとすぐにトンネルに入ってしまうのが欠点でしたが、それもまた急峻な地形を思わせて感嘆させられます。 ここまで来ることにして良かった、と思いました。3時間半の行程のうち、最後の30分ばかりだけでしたが、平凡な車窓を3時間辛抱しただけの甲斐はあったと言えるでしょう。 平岡から先もこの雰囲気が続くと思われ、その点は残念です。今回の不通区間には、秘境駅として知られる小和田などもあり、考えてみるとその辺を通るのはいつも暗くなってからだった気がするので、楽しみにしていたのですが、まあやむを得ないものは仕方がないということで。 平岡駅は土産物屋や食堂も附属した、この辺の駅としてはけっこう立派な構えでした。とはいえ平岡自体に観光客が来ることもあんまり無さそうで、特にここで途切れてしまってはわざわざ訪れる人も珍しいでしょう。この夏はさんざんであったかもしれません。 思ったとおり、ここまで乗ってきた列車が519Mとして折り返します。天竜峡までの絶景をもういちど堪能できたのは至福でした。しかし帰り道も、天竜峡で乗り換えということになっていました。 飯田あたりからは中高生が乗ってきました。コロナ禍のために、車内での大声の会話を控えるよう言われているので、それほど賑やかというわけでもありませんが、えらく混み合ってきました。飯田だけでなく、いろんな駅で子供たちがどっと乗ってきます。下りてゆくほうはわりとちらほらで、だんだんラッシュみたいになってきました。 私は向かい合わせのボックスのようになったところにひとりで坐っていたのですが、そういうところには坐らないようにしているようです。また、他校の生徒が先に坐っているボックスにも坐らない不文律があるようでした。結果として、扉附近に立っている生徒がやたらと多くなり、駅が近づくたびにそこに突入している車掌(無人駅が多く、改札や集札は車掌の仕事になる)が気の毒になるほどでした。 そういえば、往路は気づかなかったのですが、 「ドアは自動では開きません。停車してランプが点いたら『開ける』ボタンを押してお下りください」 という車内アナウンスを、全駅でやっていました。数分おきに停まるのだから大変そうで、こんなのは録音でやってしまえば良いのにと思いました。 宮脇俊三さんが飯田線に乗ったときの話で、彼も辰野側から乗ったのですが、最後の豊橋近くで学生がたくさん乗ってきてガヤガヤとしてしまったのを残念がっていました。同行した編集者も、 「逆向きのに乗ったほうが良かったのかなあ」 と発言していたのですが、その逆向きがすなわちこの電車です。逆向きであっても最後は通学電車となり、あんまり落ち着かないのは同じなのでした。 とはいえ、辰野に着くまでには子供たちもだいたい下りてゆき、そのあとさびれた中央旧線を走って、岡谷に戻ってきました。帰りはほとんど4時間近くかかりました。行き違いのための待機時間が往路よりも長めだった気もしますが、子供たちが乗り下りするためにかかる手間の時間も計算に入れているのかもしれません。 岡谷からバスに乗ることにしましたが、バスの事務所が見当たりません。バス停の注意書きを読むと、乗車時に運賃を払うようにと書いてあったので、乗車券を事前購入しなくとも乗れそうですが、空席が無ければダメでしょう。実は中央線の接続列車が、バスの発車以前に出発してしまうので、ここでダメだと帰りがさらに遅くなります。まあどうにでもなれ、と思ってバスを待ちました。
岡谷駅から乗ったのは私ひとりで、運転手から乗車券の呈示を求められました。 「いや、予約はしてないんだけど」 「あ〜、予約してないんですか。そうですか」 と運転手は苦笑混じりに言い、運転台横の機械を操作しはじめました。慣れない操作だったのか一二度間違えていたようでしたが、なんとか発券してくれました。 乗る前に、空がだいぶ暗くなっていたのは気がついていましたが、夕方になったからだと思っていました。ところが実際には暗雲が垂れ込めていたせいであったようで、バスが走り出すと間もなく、沛然として大雨が降ってきました。ときどき稲光が走ってます。 やがて本当に陽が暮れて、暗くなった街中を、篠つく雨を突いてバスが走ります。このバスは諏訪インターから中央道に乗り、下諏訪駅や上諏訪駅でも客を拾ってゆくため、しばらくは街中を走ることになります。ところが、途中、踏切らしいところでいちど停まったと思ったら、そこから全然動かなくなってしまいました。 踏切のランプが点滅しているのは、私が坐っているところからもよく見えましたが、それがいつまでも点滅を続けています。左右からひっきりなしに電車が通ってまったく踏切が解放されなくなる「開かずの踏切」というのは、かつては都心部によくあったものですが、最近は立体化などが進んでだいぶ少なくなっています。ましてや単線でしかないこのあたりで、そんなにひっきりなしに列車が通るわけもありません。それでもいつまで経っても閉まったままになっており、道路交通はまったく遮断されてしまいました。 かれこれ30分ばかり待っていたでしょうか。道路と並行した線路を、のろのろと「回送」という表示を出した3輌編成の電車が通り過ぎて、踏切はようやく解放されました。 こんな回送電車を待っていたのかと脱力する想いでしたが、もしかすると突然の雷雨で、鉄道のほうにもなんらかのトラブルが発生したのかもしれません。本来すぐに通るべき回送電車が、どこかで立ち往生したか徐行したかでなかなか通らず、踏切のほうは一旦接近を察知して鳴りはじめると途中で止めるわけにもゆかなかったのでしょう。 バスはその後、ちょくちょく停車して客を拾いました。高速道路に乗ってからもバス停がいくつもあり、その都度数人ずつの乗客が居ました。彼らはみな、大雨の降りしきる中を30分遅れのバスを待っていたわけです。高速上のバス停には屋根がついているとはいえ、ご苦労様というところでした。 それにしても、こんなに遅れたのでは、電車を乗り継いでも帰宅時間はあんまり変わらなかったのではないかという考えが頭をかすめました。まあ、時間のことよりも、夜になってロングシートに長時間揺られるのが苦痛であったことが大きいので、バスにして良かったのですが。 往路の429Mの車窓から、すれ違う電車の様子を見ていると、必ずしもロングシート車ばかりではなくて、たまに旧型のセミクロスシート車も走っていたようですが、それに当たる確率はあまり高くなさそうでした。また、時間帯的に、塩山か大月あたりまでは勤め帰りの客が多くてけっこう混みそうです。上にも書きましたが、混んでいて外も見えないロングシート車に揺られているのは、山手線や京浜東北線に乗っているのと気分的に変わらず、リフレッシュどころかストレスにしかならないのです。 中央高速は珍しくスムーズで、渋滞にはほとんどぶつかりませんでした。また終点のバスタ新宿というのは、初台の出口を出てすぐですので、かつてのように高速を下りてからやたらと時間を食うということもなくなりました。30分遅れていたのを、20分くらいの遅れまで取り戻して、22時過ぎに到着しました。 そこからの電車の接続も妙に良く、22時半くらいに川口まで戻ってきました。飯田線を通り抜ける当初の予定よりは少し遅くなりましたが、まあまあといったところです。 101.9キロをえっちらおっちら引き返すという、われながら酔狂きわまる旅をしてしまいました。自分の事前調査不足、情報不足によるものですから誰を恨むわけにもゆきませんが、まあいずれリベンジで平岡〜豊橋を乗りつぶす楽しみができたのと、中央西線まわりという新たな可能性に気づけたことで、今回の失敗を糧にしたいと思います。 そうそう、今回のJR乗車距離と運賃は、川口から平岡までが333.7キロで5720円(飯田線内は地方交通線換算キロ数を適用)、平岡から岡谷までが123.6キロで2310円(同)、帰りの新宿から川口までが220円で、合計8250円、青春18きっぷの元は充分に取れました。 (2020.9.1.) |